生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

フジやの件

牛乳は新しい方がよい。何しろ、牛が組織の一部を絞り出すわけだから。新鮮な方が良いに決まっている。缶コーヒー好きの私が、決してカフェオレを飲もうとしないのは、自販機の中の「ナントカオーレ」に手を出そうとしないのは、牛乳は鮮度が重要だと思っているからだ。
我が家は育ち盛りの子どもが4人居て、大量の牛乳を消費する。真夏になると、毎日2リットルくらい。私自身は子どもの頃、一日一リットルくらい飲んでいた。牛乳は大好きである。
さて、我が家でも時々、期限切れの牛乳を抱えることがある。切れたら、仕方なく捨てる。一日くらい、気にすること無いと云う意見を女房がいうなら許容できる。一日くらいどってことない。勿体ない。そう言う発想は許容できる。飲んでみて、大丈夫なら良いのだ。では、消費期限は何故決まっているのか。かつて、牛乳には消費期限ではなく、製造年月日が刻印されていた。新しい方がよく売れる。製造年月日の一日の違いを気にする消費者は、自宅の冷蔵庫の中で時間が過ぎることには余り頓着しない。
牛乳を製造、販売する側が、品質を保証する期限が消費期限ということだろう。いくらか余裕を持って表示しているのかどうか知らない。
一日くらい、どってこと無いという発想は素人的である。食品製造の現場では通用しないだろう。私はこの話を聞いたときに最初に思い出したのは、雪印乳業の事件。しかし、フジやのケーキで病気になった人は居ないのではないか。幸いなことに。
もう一つ思い出したのは、原子力燃料の製造で起きた、臨界事故だ。
マニュアルが軽視され、素人的な管理が常態化した点で似ていると思った。食品会社の事故の場合、被害者は一般消費者となるから、何も起こらないうちに明らかになって良かったと思う。
会社は立ちゆかなくなるだろう。
横っ腹にペコちゃんをペイントしてる幼稚園バスの行く末も気になる。