生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

子どもが騒ぐこと

クソガキが大騒ぎしている。泣いている。叫んでいる。神経に障るが、これは親の責任ではない。泣き叫んだり、騒音をまき散らしたり、周囲の迷惑を考慮できない性質は子どもが本来所持しているものである。
もし、親が注意して大人しくなったり、行動を改めたりするような子どもは、寧ろ気味が悪い。
親の責任とは、子どもが五月蠅いことではなく、五月蠅い子どもをそこに連れてきたことなのだ。
乳を飲ませれば大人しく寝ていてくれる新生児ならともかく、何をしでかすか分からない年頃の子どもを公共の場所に連れて行くことは、親にとって大変な苦痛を伴うのである。自分が着る衣装を選ぶために婦人服売り場に行く時でも、晩ご飯のおかずを買いに行く時でも、子どもをどうするか思案する。家に閉じこめておくわけにいかないから、連れて行くのだ。デパート、スーパーマーケット、どこでも託児施設を用意しているところは稀である。
混乱した状況の中で、親が為すべきことは、直ちに買い物を中断し、子どもを引きずってその場を立ち去ることなのだ。

私は絶対に我が子を虐待しませんという人と、泣きやまないので思わずかっとなりました、という二通りの親が居たとして、私は後者の方が理解できる。

http://d.hatena.ne.jp/namnchichi/20070717#p2

その場にたまたま居合わた人がクソガキに対して抱く不快感と同等、或いはそれ以上の感情を親は普段の生活で感じ、踏みとどまっている。
たまたま居合わせた人が刹那的であるのに対して、親は責任上継続してその状況に身を置かざるをえず、そして、何度か踏みとどまるうちに、子どもが成長していることに気がつくのである。