生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

家族の解散

中学生の娘が、祖母宅でホームレス中学生という本を見つけて借りて読んだ。その話を私に聞かせてくれた。父親が家族を「解散」してしまう。中学生の少年は何とか生き延びる。
裁判の記事を読んで、少し思い出した。

果たして私はその事件に何を感じていたか。

ひどい事件だと思う。罵倒が渦巻いている。
しかし私は、相当な情状酌量の余地がこの母親には残されていると感じる。
そして、この母親がそれまでに育てた息子はなんと優しく深い思いやりの心を持っているのだろうと思う。
あらゆるものに満たされて、親の愛情を一身に集めて育まれた子どもと比較して負けないくらい、よい子に思える。母は家族の解散を決意するまで、素晴らしい愛情を子どもたちに注いでいたのではないか。
子を授かったときに、我が子に自分の一生を捧げる覚悟が出来ていて、その気持ちを持ち続けられるひとがどれほど居るのか。

追記

虐待や遺棄というものは、それほど特別なことではなくて、誰にもそういった可能性がある。
この母親とその他多くの親の何処が違うのかという考察の上で、彼女が育てた子どもがよい子であるという前提に立った論議は、正しくないと妻に指摘された。同様のブックマークコメントも見かけた。
まず、この記事の論調に気をつける必要がある。彼女が子どもを身籠もってから事件に至る7年ほどに、何があったのか記事では何も触れられていない。おそらく、三人の子どもを抱えて誰にも頼れずに必死に生きてきたのだろうと想像する。その部分は全く無しで、ああいう記事を書く。
恐らくは、望んでもうけた子どもではないのだろうと想像する。もう一方の子どもの保護者に対して、彼女は大いに失望していたのだろう。この女性には、家族という視点が決定的に欠けている。恋人との関係はフレキシブルだ。こどもが出来た途端にソリッドになる。その状況を受け入れねばならない女性と、場合によっては受け入れずに済まそうとする男性。リセットすべきは、子どもたちとの関係ではなく、彼女を身籠もらせた男性との関係だったはず。
リセットしようと試み、彼女は結局子どもから離れることは出来ず、事態は最悪の方向に向かった。
私には、大変気の毒な女性と感じられる。何にせよ、新聞の論調は恣意的である。