生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

古いバイクに乗ること

少し前に25年前に作られたモンキーに3年ほど乗った。途中、クランクシャフトの交換が必要になったが、メーカーに欠品となっており、組み直すのに8万円掛かった。(モンキーというメジャーなブランドでさえ、そういう状況なのだ。)古いバイクに乗ると言うのはそういう覚悟が必要ということに、その時何となく気付いていたが、モンキーは所詮借り物であったから、そういった古いバイクを所有することで置かれる厄介な立場について、私は他人事と感じていたのかも知れない。
先日手に入れた私のバイクは、1988年に作られ、生産中止後既に15年余りを経過している。私は購入を決める時点でそのことについて深く考えていなかった。1988年は私が大学を出てひとり暮らしを始めた年だ。世の中は天井知らずのバブル景気に湧き、バイクはレーサーレプリカが毎年のようにアップデートされていた。私はその頃、最新のホンダ4気筒を手に入れていたが、仕事が忙しく乗るヒマがなかった。このバイクには盗まれてぼろぼろにされて戻って来たこと以外、これと言って思い出がない。私の手に余るバイクだった。それ以前にはCXというV型2気筒エンジンのバイクに乗っていた。そいつはシャフトドライブで、私はシャフトドライブのバイクが好きだった。BROSと言うバイクは今にして思うと時代を先取りするNaked styleである。私がCBR400Rを選んだ時に、気に入ったのはすっぽりとカウルで覆われてほとんど外から見えない美しいアルミニウム製のフレームだった。BROSと言うバイクはそれとは正反対に、何も隠さない、見た目通りのバイクだった。
輸出用はシャフトドライブだが、国内仕様は片持ちのサスペンションにチェーンドライブとなったのが気に入らなかった。その前身となったNV400SP(NC15)はシャフトドライブで、当時の私は少し心が動いていた。もしBROSがシャフトドライブだったら、私は何らかのアプローチをしていたかも知れない。
乗り始めて三日目。荷物を固定するネットのゴムが緩くなってきたので、少し離れた二輪用品店に寄った。店内をウロウロし、用事を済ませて店を出ようとしたところで、つまりバイクにまたがって国道に出ようとした時、私の前に居たスクーターが少々無理な発進をして、国道を走っていた乗用車にクラクションを鳴らされた。どうやら私が後ろに詰まっていたので気が急いたらしい。私はのんびりと車の流れが途切れるのを待っていると、右手からやって来たバイクが左折で駐車場に入ってきた。駐車場出口で一時停止していた私の右側をすれ違って駐輪場に入ってきたそのバイクは、私がまたがるバイクと同じだった。珍しいと思った。珍しいバイクがたまたますれ違うことが珍しいと思った。
その思いは相手のライダーも一緒だったようで、駐輪場に止めるが早いか、バイクを降りて私の方に近づいてきた。650CCか?と尋ねる。その通り。
ようこんな古いバイクを。色々と話しかけてきたので、私もエンジンを切って、駐輪場にバイクを戻した。
もうキャブレターの部品が手に入らないそうだ。彼は部品取りのためにもう一台ブロスをもっているとのこと。エンジンは他に二台分あるとか。とにかく、BROSが好きでたまらないようだ。バイク便の運転手で、BROSを仕事に使っている。私は乗り始めてまだ三日。色々とBROSに乗り続ける上でのアドバイスをいただいた。丈夫で壊れにくいとのこと。但し、彼はもう随分壊し、随分修理している。何とフロントはダブルディスクブレーキである。CB400のフロントがそっくり流用できるのだそうな。恐らく、日本で十指に入るブロスマニアであろう。丈夫と言いながら、あらゆる修理を自分でおこなっているとのこと。私も何かトラブルに見舞われて、部品が手に入らなかったら連絡してくれといって、携帯電話の番号を教えてくれた。不幸にしてBROSを手放すことになったらまずあなたに連絡するから、と言って別れた。
三日乗って,嫌になったわけではない。面白いと思う。トラブルさえなければ当分乗り続けるつもりだ。トラブルがあった時のことまでは考えていなかった。恐らく、このバイクに乗り続けるには、彼のような情熱が要るのだろう。部品を確保するために、中古を手に入れる。一台、また一台と、部品取りに潰されていって、地上に残った最後のBROSに乗っているのはきっと彼のようなライダーなのだろう。私がその様な情熱をもつには、もっとこのバイクを理解することが必要だ。