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生活

ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

新しい出発・近所の酒蔵・ゆっくりと走った

本日も、明け方まだくらいうちから家を出て、昨日用意した菓子の小袋を沢山リュックサックに詰め込んで、大東市に向かった。
JR神戸線に乗って尼崎で東西線に乗り換える。わりと便の良いところである。住道駅で降りて、寝屋川沿いを歩く。
それにしても、寝屋川は少々気の毒な川である。川と言うよりは運河というか水路の佇まいで、周辺住民からはどのように思われているのだろう。
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カモメが飛んでいるので、海が近いのかというとそうでもない。
運河を渡り、住宅地の狭い道を歩いて行くと、せいぜい自販機がある程度で、本当に何もない。
公園をみつけ、トイレがあったので立ち寄った(こんな話しが多いね)。
公園には看板があって、
「さぁ、新しい出発だ」
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とある。悪くない文章だが、なにもここに掲げる必要は無い。何か事件でもあったのだろうか。
歩いて行くと、大きな片側二車線の道に出て、受験会場はその道に面している。朝早い時間というのに、若者の二人乗りした改造バイクが、歩行者専用の赤信号を守ってきちんと停止線手前で止まっている。但し、信号が変わるまで、たいへん大きな騒音を立てながら、エンジンを空ぶかししている。十分に空ぶかししたので、信号が青に変わると急発進、もしくは前輪を持ち上げてウイリーかと思うと、ワンテンポ措いて、ゆっくりと走り出した。ゆっくりと走りすぎていってたいへん拍子抜けした。ほほえましいレベルだが、騒音は迷惑である。私は大きな音のバイクや車は好まない。
この近所にはそういう子達が沢山居て、大人とはわかり合えない結果としての「新しい出発」なのかも知れない。
沢山用意した菓子袋だが、全て捌けた。私が励ましたからといって別に試験が出来るようになるわけでは無いが、やらないよりはやった方が良いと信じて、毎年行っている。
9時過ぎに現地を後にして、帰宅する積もりで電車に乗った。やはり眠くて、尼崎で乗り換えを間違えた。目が覚めると尼崎で停車しており、降りるべきかと思ったが、西宮で乗り換えれば良いと思いそのまま乗っていたら、福知山線の方に電車は向かった。伊丹で降りて引き返した。
駅から自宅まで歩く途中で、犬と散歩中の妻に出会い、一緒に散歩しながらいろいろな話しをした。ほとんどは息子の受験に備える話になる。
昼食前に、「白鷹」の蔵開きに行った。
先日は「白鹿」の蔵開きに行った。美味しい新酒が手に入ったので、今度は「白鷹」に行ってみることにした。(他に、日本盛や大関などが近所にある)
たいへんな行列が出来ていて、人出の多さに驚いた。試飲が人気のようだが、私は昼間からお酒を飲むわけに行かないので、搾りたての原酒を買うだけ。駐輪場に石碑があった。
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写真を撮っていると、駐輪場の整理員が由来を教えてくれた。伊勢神宮に納めており、神様が飲まれる唯一のお酒が白鷹であるとのこと。宮の字がちょいと変わっている。つまり、2つの口の間に棒が無い異体字なのだが、その理由を話そうとしたときに、通りがかりのおじさんが、「お伊勢さんに行くと白鷹がずらりと並んでいる」云々と話しかけてきて、説明が途中になり残念だった。
お仕事を片付けて、夕方から走りに行った。今日は随分暖かで、春霞というかPM2.5が充満しているというか。
オーバーパンツとネックウォーマーを外して他は一昨日のまま。ちょっと暑いかと思ったけれども、ゆっくり走ろうという意図である。臨港線を西に向かい、途中から北へ。2号線から芦屋川沿いに出て、開森橋から山手の住宅地へ。女子校、女子大の前を通り、小路八幡にお参りして、甲南大の横を抜けて住吉川沿いを下って山手幹線を阪急夙川まで戻り帰ってきた。8の字コースになった。
17.77km, 1h58m32s, 1103cal, up/down 214m, 14°41%
たいへんゆっくりと走り始めて、最後までゆっくりだった。余り体調が良くないのかもしれない。
道沿いにお菓子屋さんが沢山ある。洋菓子、和菓子。いろいろである。ウインドウ越しに眺めながら走る。普段走る時間だと閉店していることが多い。先月の、チョコレートのお礼に、ちょっとしたお菓子を持って行こうかという気分になる。
夕食は、妻がとんかつを揚げた。そろそろ受験の必勝ムード作りである。息子はどうも詰めが甘い。考え方も甘い。私に似たのだろう。
走りながら、いろいろな考えが頭を過ぎった。
解決しなければならない問題があり、その一部は解決に向かっていて、中には全くほったらかしのものもあり気分が重たくなる。解決したものもある。
しかし、解決したように見えて、ただ蓋を被せただけのような気もする。丈夫で重たい蓋を載せて、誰にも開けられない様にして、一見きれいに片付いたようでも、蓋を開けたときのことを想像できる自分には、何一つ解決になっていないのである。
決して蓋を開けないと決意していても、蓋の裏側で腐敗し、何時か干涸らびて、塵になっていることを想像する訳である。その蓋の中に何が入っているかを知っている以上、苦しみから逃れることは出来ない。私は、そのようないろいろなモノに蓋を被せながら生きてきて、これから生きていくのだろう。
息子の受験まで、御影の天満宮に毎日ジョギングがてらお参りしようかと思っている。