生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

通じない電話・妻の助言・苦しみの中から生まれるもの

通じない電話を四日間持ち歩いている。
スマホのバッテリが余り減らない。
一応、iPhoneは31日に出荷が始まるというので、事前予約していればすぐに手に入ると踏んでいた。SIMが31日に届いてMNP手続きを済ませて、月末締めのソフトバンクの契約を31日の内に切った。契約を切るためのコストを少しでも抑えられると思ったからである。
同時に発注した息子の電話(16GB)は昨日届いた。私の方は、本日4日の段階でようやく出荷という連絡があったが、運送会社の中国内の支店で足止めを食らっているらしい。
やむを得ずこの四日間、電話として機能しないiPhoneを持ち歩いている。GPSアプリが使えるので、iPodより若干上等である。自宅と職場ではWi-Fiに繋がるので、メールの送受信やWebの閲覧は出来る。電話を掛けたりショートメッセージを送る以外のことは一通り出来る。しかし、一歩外に出ると地図アプリも時刻表アプリも使えない。もちろん電話も使えない。PodCastさえも聴けなくなる。通勤中にスマホで出来ることというと、ミュージックアプリで音楽を聴くか、容量を抑えるために写真アプリの古い画像を削除しまくるだけ。ミュージックアプリも丁度ブルーツースイヤホンがメーカー修理で送り返されているところで、ケーブルを繋いで聴く面倒。そのような状況が五日目に入った。仕事にもきっと差し支えているに違いない。SIMが刺さっていない電話を持ち歩いても、出来ないことだらけである。
だから私はポケットの中から電話を出さず、ずっと音楽を聴いている。電車の中で私の周りに居る10人は揃って、LINEに返信するか、通販を眺めているか、ゲームをしているか、動画を見ているか。とにかく、スマホを弄っている。スマホをポケットに入れたままでいる事は、私の乗る電車の中では相当特殊なことになっている。
実際、昨日iPhoneを手に入れた息子は、勉強すると言って部屋に戻る時以外は常にスマホを手にしている。一昨日まではそのようなことは無かった。スマホは繋がる道具であり、相手が居るだけに自分のペースを保つのは難しいのかもしれない。
おそらく、明日か明後日には手許に新しい電話が届くはずである。とはいえ、いま持っているのと形は同じ。容量も同じ。少しは動作が機敏になっているはず。その程度である。大変格好良いケースが先に届き、画面の保護フィルムを既に手に入れている。もちろん、SIMも手許にある。準備は万端である。少しでも容量を確保するために、無駄な画像や音楽、アプリを削除して新しい電話が届くのを待っている。
もたもたしている内に、SIMの契約先からメールが来て、iPhoneSEでの動作確認が取れたとのこと。動作確認なら昨日息子のiPhoneでやった。動作確認を見ると、SIMフリー版だけでなく、ドコモ、AUのiPhoneでもSIMを入れて使えるとのこと。これで商売が成り立つのだろうか。
定刻に終わるはずの無い会議。何も出来ぬままに一日が終わった。9時近くに帰宅。
夕食を済ませて、時間がないので走るのを止めようかと思っていたら、妻が言うには、毎日20キロ走らねばならないのか。時間がないときはちょっとだけ走れば良いのではないか。
その通りである。妻の助言に従い、南芦屋浜を一周回って帰ってきた。
7.86km, 45m51s, 466cal, u/d 13m
息子がスマホに熱中している。


長女の留学もあと3ヶ月で終わる。
カルチャーショックというような言葉では言い表せないようなショックを受けているようだ。
井の中から抜け出して、大海を泳いでいるわけだ。井の中から出て、鰯を見ても驚く。鰯で驚いていたらマグロがその鰯をひと飲みにする。そこからは次々とすごいものが出てくる。巨大な烏賊、マンボウ、鯨、エイに鮫、オットセイやらなんやら。いや、これは喩えだ。
彼方に見える陸地の上には、どれほどのものがあるのか想像も付かないだろう。
そのようなすごいものを見たあとに、井の中から出た彼女はどうしたらよいのだろう。
誰もが考えて悩み、結論が出せないままにのたうち回る。偉大な先人達も同様で、おそらくは信じがたいほどの深い苦しみに打ちひしがれていたはずである。
なにも解決しないと思う。解決させる必要は無く、苦しみの先に何があるか誰も知らない。恐らく何も無い。苦しみは続く。苦しみながら何かを作り続けるのが芸術なのでは。