生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

サングラスを掛ける

気温が下がり、風が冷たい一日だった。
特に印象に残ることも無し。
職場の帰りに、先日買って裾を直してもらったコットンパンツを受け取りに、元町に寄った。
試着して裾を直すときに、「椅子に掛けたときに靴下が丸見えになるのがいやなので、なるべく長めにしたい」と申し上げて、店員は「脚が長いですね」とか言いながらピンを挿し直していた。
持って帰って改めて履いてみると、少し丈が短く感じる。微妙な感じ。
実際に履いてみないと分からない。恐らく、短めで踝を露出して履くのが流行なのだろう。
改めて直してもらうか、一度履いてみてから考えようと思うが、もう少し長めに直すことが出来るのだろうか。
職場で万年筆を床に落下させ、ペン先が曲がってしまった。自分なりに修正して、インクが出るようにはなったが、かすれたり、太くなったりで、諦めた方がよさそう。元町に行く途中で文房具店に寄り道して、一本買った。試験の採点やゲラの修正に使う赤インクを入れているペンなので、無いと大変困るのだ。
ダメにしたペンはスケルトン、つまり透明でペンの中身が透けて見えるタイプ。店頭に極細のペン先の同じものがなかったので、赤いボディを選んだ。サイズは同じなので、ペン先部分だけ新しい物を使い、それ以外は今までの透明のパーツを付けた。

大変書きやすい。LAMYのSafariと言うペンである。
寄り道したので、帰りが少し遅くなった。夕食を摂っていると、妻が買い物の大荷物を持って帰ってきた。
息子は中々勉強に取りかかれずに苦しんでいるようだ。
長女は大学院進学を考え始めた。
次女は自動車の運転免許の見通しが付き、ゼミの発表のために寝る間を惜しんで勉強している。
三女は先日のラジオの公開放送で声が流れたと言っていた。
私は時間があればギターに触る。それから、仕事を持って帰って、ゼミの発表の準備をしている次女の横で、いろいろと話しを聴きながら仕事である。次女も話しながらの方が捗るらしい。
二日続きで走った。寒い日は格好が難しい。
長袖シャツを二枚重ねて、ジャケットを羽織る。ロングタイツの上にオーバーパンツを穿く。ネックウォーマーに手袋、ニットの帽子。
それでも、走り始めてから身体が暖まるのに20分以上かかる。
今日は、なるべくしっかり腕を振ってストライドを延ばす努力をするつもりで走ったが、そのようにはならなかった。
臨港線芦屋川から43号線、住吉川を渡って、2号線に出て、石屋川から阪急御影、岡本、芦屋川から阪急夙川経由で戻ってきた。
20.38km, 2h01m26s, 1216cal, u/d 119m, 8°
努力の割に、結果が伴わない。衰えているのだろうか。
アメリカでは新しい大統領が就任した。
今までとはずいぶん違う世の中がしばらく続きそうだ。身も蓋もないなにか。
取りあえず、今までハラスメントとして非難されていたことは気に留める必要が無くなり、差別と呼ばれる行為の定義が相当狭まるだろう。
私がサングラスを掛けているのは、眩しいからではなく、目を守るためでもなく、サングラスを掛けると決めたからだ。
眼鏡を新しくしたときに、気まぐれでサングラスも一緒に作ったのだ。私のサングラスには遠近両用の度が入っている。裸眼でぼやける物がはっきりと見える。
日差しが強いときには、乱反射するような感じで寧ろ見にくい。レンズが上等でないのかも知れないし、遠近両用のせいかもしれない。
一人で外に居るときは、サングラスを使う。ルールとしてはそれだけだ。家の中や誰かに会う時は、素通しの眼鏡である。素通しだからと言って素晴らしく見えるわけでは無い。普段サングラスになれていて、期待する分ガッカリする。
サングラスは、薄暗いところでは見えにくくなる。下らない物が目に入らないのが利点である。
傍から見ると目立つだろうし、奇妙に感じられるかもしれないが、掛けている側はほとんど気にならないのだ。ヘッドホンを掛けている人やマスクをしている人と同じように、受け入れられると信じている。
どうしてサングラスなんか掛けるのか?と言う問いの答えは、サングラスを持っていて、それを掛けると決めているから。である。