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生活

ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

見えない方が少し幸せ

前髪に白髪が増えて来た。

遠目には黒いが、洗面所で鏡に映すと数ヶ月前よりずいぶん増えている。

そのような事を気にかけるのは、一二年後の自分の姿に外挿し、年老いつつある姿をイメージするからだと思う。

鏡の前は自分の老いに向き合う場所である。

 視力はもともと宜しかった。視界に入るものは何でも見えていた。メガネが必要となることもなかった。

全てが見えているつもりで生活していたが、そのうちに実は細かいものが見えていないことに気づいた。

視力が落ちているのである。以前なら読み取れていたものが読み取れなくなっている。時間をかけたり、目を細めたり、近くに寄ったり。初めは左右にずれて見える乱視。その内に近視が加わり、この頃は少し縦方向にもずれる。

加えて、手元の細かな文字を読み取るのに苦労する。と言うか、読めなくなっている。

メガネを掛ければ日常生活に困ることはない。

矯正すれば自分が期待する視力は出ている。

然し乍ら、眼鏡が邪魔な時やメガネがない時は、少々困る。未だに二重焦点に慣れない。

生活動作により何種類かのメガネを取り替えている。視力が十分でなく不自由に感じるのは、元々視力が良くて何でも見える状況に慣れていたから、或いは見えないことに慣れていないからである。恐らく、一般の「目が悪い」方よりは余程見えていると思う。見える物を何でも読み取ろうとするから見えないことが気になるのだ。

初めから、少し見えないとわかっている方が方が気が楽である。処理すべき情報をあらかじめ制限して、処理の負担を減らすのである。

暗くなってから掛けるサングラスもそのようなもので、度が入っているので焦点は合うが、細かな所は見る必要が無くなる。現実には、薄暗い所で細かな何かを見分けねばならない事はむしろ稀なのだ。側から見るほど不自由なものではなく、寧ろ合理的で快適であると言える。


朝早くから神戸の山奥の仕事。

引き返してからは、勉強会や研究実習の指導など。

帰宅後はたくさんのお菓子を買いに量販店へ。それを小袋に詰めて、明日の準備をした。毎年の行事である。

講義の準備のこともあり、走らず。

三女とお話し。もっと時間をかけて、じっくりと話を聞く必要があると感じた。