生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

いろいろと野暮な用事があり、日記を書き損ねていた。
土曜日は、犬と散歩をした後、妻と二人で長女の大学に行って、作品展を鑑賞してきた。
いろいろな国籍の留学生たちと合同で作品を展示していて、中々興味深かった。行き帰りで妻といろいろと話が出来た。私はそのまま電車に乗って職場に向かった。
体重が減り気味。少し前より1kg減っている。
体調はよく分からない。メンタル的には、まぁアベレージと言ったところ。
帰りの阪神電車が芦屋駅直前で急停車した。
三宮から帰って来たところで何だが、三宮まで走ることにした。かなり蒸し暑く、アンダーシャツもロングタイツもなし。短パンにTシャツ、ウエストバッグ。
臨港線を芦屋へ。43号線に出て、浜福鶴から酒蔵通りに入り、魚崎の酒蔵の中を西に向かう。旧西国浜街道で都賀川に出て更に直進し、摩耶ランプの歩道橋を渡って2号線に入り、そのまま三宮まで。ダイエー前を通ってフラワーロードから加納町の交差点を左折し、二宮橋から南に下ってJRの高架をくぐり、線路沿いを灘駅まで、阪神岩屋の脇を抜け西灘から2号線に入り、二号線を戻って最後は打出の住宅地の中を経由して鳴尾御影線へ。
30.45km, 3h08m11s, 1837cal, u/d 163m, 30°/67%
ペットボトルを5本買って給水した。
とても暑くて、大変消耗した。しかし、夏のマラソンを走るつもりなら、こういう練習を積まなくてはならないと思う。やり遂げたことに手応えを感じた。


日曜日
妻は娘たちと買い物に行くという。少し遅めに目覚めて犬と散歩のあと、久しぶりに洗車した。ワックス掛けもして、ついでにバイクも少々雑なやり方になったが洗った。
11時30分より、オートバイレースの中継をみた。ほぼ8時間見続けた。結果的には優勝したヤマハ21号車の完璧なレースだったと思う。ノーミス、ノートラブルだった。チャレンジした634ホンダは、セーフティカー導入のタイミングが余りに不運だった。8時間のレース中、実況アナウンサーの声や喋る内容がはどうも私の波長に合わず、副音声のゲストの話を聴いていた。たいへん興味深かった。特に、八代さん。私がバイクに興味を持ち、雑誌を読んでレース情報を追いかけていた頃の、内側から見たたいへん生々しい話を聞くことが出来た。少し仕事もしながらの観戦だが、これほど熱心に8時間耐久レースをみたのは初めてかも知れない。
終わってからは仕事。夜はハンガリーからのグランプリ中継(車)もちょっとみた。
色々あって走らず。


本日
朝早くに職場に向かい、いつもよりもずいぶん早い時間に試験監督である。
教壇に駆け上がろうとして、多分35cmから40cm程度の高さなのだが、思っていたように脚が動かず、踏み外して両足の脛を教壇の縁に激しくぶつけた。学生さんたちは一生懸命試験を解いていて、笑い声などは聞こえなかったが、かなり派手に這いつくばったので、大勢が気付いたとおもわれる。たいへん痛かった。傷になっていると思ったが、タイトなジーンズを穿いていて、確認するのは簡単でない。同僚は私の脚が弱っているのだろうという。少し汗ばんでジーンズが張り付いたようになって脚を動かしにくかったという言い訳は出来ると思うが、今まで長年教卓に駆け上がっていて、踏み外したのは今回が初めてという事実は受け止めなくてはならないだろう。帰宅してジーンズを脱いでみると、両脛に擦りむいた傷が出来ていた。労災である。危険予知とか対策の横展開とかまぁいろいろやらなくてはならないだろう。とにかく、自分の衰えを自覚し、それなりの行動を心がけることが求められる。一方、教壇の高さについては、以前からかなり厳しいものがあり、せめてステップを設置するくらいは検討していただきたいが、うちの産業医は何にもやらないから、多分自己防衛が必要と思う。
尼崎方面を走った。酒蔵通りを東へ。甲子園球場脇を通り、女子大構内から医科大の脇を抜け、阪神沿いを走って、出屋敷のあたりで43号線に出る。杭瀬の手前で2号線に出て、左門殿川の堤防を走り県道41号線へ。あとは山手幹線からいつもの高速道路沿いの道に出て西宮に戻った。
28.24km, 2h55m33s, 1706cal, u/d 61m, 29°/84%
たいへん暑かった。特に帰り道はキツかった。風向きのせいかもしれない。大量の汗を掻いた。