生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

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テレビを余り見ない我が家のマスメディアは、主にラジオと定期購読している新聞である。
あとは家族各々がパーソナルメディアとしてインターネット経由で情報を得て情報交換している。
妻は新聞を毎日熱心に読んでいる。私も時々読む。
新聞を読んでいて気が付くことの1つは、新聞の見出しのいい加減さである。もう一つは、恐らく老人向けメディアであると云うこと。広告を見ると分かる。
新聞というメジャーなメディアであるにもかかわらず、そこにはスマートフォンの広告は無い。自動車の広告も無い。コンビニの広告も、インスタント食品の広告も無い。
昭和時代の復刻版音楽CDとか、関節や骨を強くする健康食品や、驚くほど元気になる何かや、紙おむつや、トイレが近くて困る人の薬や、温泉旅行や、そんなのばっかりで、明らかに高齢者向けの広告である。
偶にテレビを点けると、色々な広告が騒々しい。テレビは未だにもっともポピュラーで普遍的なメディアの立場を維持している。人々のお金がどこに向かって流れ込んでいくのか、テレビを観ていると想像がつく。スマートフォンなどの情報電子機器端末とその契約、音楽、薬、お酒、自動車、などなど。番組の合間の僅かの時間に詰め込もうと、早口でまくしたて、あまり良い心持ちにならない。
電車の吊り広告に至っては、もう滅びかけている。沿線のイベント案内や、系列デパートや遊園地の案内、通学定期ユーザーの高校生に大学の受験案内が関の山である。今や、電車内で乗客の8割はスマホを見ている。吊り広告に何か期待する人など殆どいない。後は高利貸しの広告と、高利貸しに払い過ぎた利息を取り戻すことに関する法律事務所や司法書士事務所の怪しげな広告。
インターネット広告は混沌としている。閲覧者の閲覧行動を反映させたような広告が延々出る。何かを検索したら、それに係わる広告が出続ける。それはもう解決した、この前買った、というのに出続ける。我が家のWiFiで家族の誰かが何かを検索すると、広告にそれが反映されるようだ。子ども達が何に興味を持っているか、広告を見ると分かってしまう。
スマホの広告に至っては、胡散臭いものばかりである。「ちょい悪オヤジ」の「止められない神アプリ」やら、「稼げちゃいました」やら、どう考えても怪しい。
タップしたことは無いので、何が出るかは知らない。
テレビ広告はもう何でもありで、広告が無い筈の公共放送もニュースに名を借りて番宣をやっている。
昨日息子が観ていた民放のフィギュアスケート中継には女優がゲストとして招かれ、スケートとは全く関係が無いその局で放映されるドラマの宣伝をしていた。ファンにとって、このようなやりとりで時間を潰されることは、中継を見るための義務的な何かといつの間にか割り切っているのだろう。偶に観る私は、数百万人の時間を興味の無いドラマの宣伝のために数分間無駄にしているように見える。