生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

記録的な台風が通過

通過というよりも、直撃だった。
「非常に強い」台風21号の話だが、南方からほとんど神戸目指して一直線にやって来た。
台風の中心より東側が危ないことは分かっていたので、ちょいと東に逸れてくれないかと、自己中心的には思っていたが、まぁ、おおよそ真っ直ぐ寄り道もせず、予定通りにやって来た。
当日昼前までは特に何もなし。職場は神戸の人工島にあり、先日の20号台風の直撃で屋根が飛ばされたり樹木が倒れるなどの被害を受けている。公共交通機関も早々に運行取りやめを予告していたので、お休みとなり自宅で待機していた。朝から犬と散歩など。少し蒸し暑いくらいで日差しが厳しかった。
パラパラと雨粒が落ち始めて、昼から本降りに。いわゆる台風本体の雨雲がかかり始めて土砂降りになった。そのうちに壮絶な風が吹き始めた。
予報では高潮に警戒と言っていた。我が家は浜から300メートルほどのところにある。家から川までは100メートル足らず。防潮堤から川の堤防は津波対策で5メートルの高さがあると聞いている。余程のことが無い限り、越えることは無いと思うが、もしも越えたら我が家は一巻の終わりである。

大雨で川が溢れるとしたら、我が家よりももっと上流の方と思っていた。
激しい雨が小降りとなり、強風が吹き始めた。高潮である。川の水は河口から逆流している。河口の方は凄まじい波が立っており、普段なら見通せる人工島の向こう岸が全く見えない。あと1メートル余り水位が上がると溢れる。

あそこまで川と海が暴れているのを初めて見た。大変恐ろしかった。
その後、風も収まり始めて電気が途絶えた。
取りあえず、高潮で浸水する危機は去ったように思えた。
交通信号が消えている。
我が家も停電した。
照明が点かない。(ろうそくと懐中電灯で対応した)
エアコンが止まり、もちろん扇風機も使えない。
テレビが点かず、Wi-Fiも停まる。
風呂が沸かせない。
IHのコンロが使えない。ただし、ガスの元栓があり、ガスコンロで鍋料理などに重宝しているので湯を沸かすことが出来る。残念ながら、炊事は炊飯器が使えず、というより精米器が動かない。
湯は沸かせるものの、コーヒーミルが動かないのでコーヒーが飲めない。
ノートパソコンは100%充電済みだったので、数時間動かせるので仕事をしていた(がネットには繋がらない)
スマートフォンのみが唯一の情報源となった。予備バッテリーが用意されていたので、慎重に使えば一晩くらい情報を得たり、周囲と連絡を取ることはできた。
ラジオはあったが、使わなかった。
と言うことで、夕食は買い置きしてあったカップ麺を食べた。
少し落ち着いてから、妻と散歩に出た。分かったことは、停電している区域は限られている。2つ通りを渡ると通電しており、途中のコンビニは照明が消えて懐中電灯対応だったが、スーパーマーケットは煌煌と明かりを付けて営業中で、停電地区の市民が集ってパンやレトルト食品を買いあさっていた。私たちも、売れ残ったドーナツとレトルトの白米とカレーを買った。
停電は翌日午前まで続き、妻は大鍋に湯を沸かしぬるま湯で風呂に入ったようだ。私は翌朝、水でシャワーを浴びた。プール授業を思い出した。
いつもより少し早めに職場に向かった。私鉄は動き始めていたが、JRのダイヤが乱れた影響で、振り替え輸送となりものすごく混んで遅れていた。三ノ宮で飯を食うつもりで少しウロウロして、結局センター街のマクドナルドに入り、ビッグブレックファストというメニューをセットで頼んだが、かなり期待を外された。世間知らずの私である。
昼前に停電が復旧したという報告を受けた。
情報が入りにくかったので、その時は分からなかったが、我が家の周囲でもかなりいろいろなことが起きていたようだ。特に浜辺近くに住む立場として、高潮である。
六甲アイランドのコンテナが流出して芦屋浜に流れ着いているそうだ。西宮浜ではボートが陸地に乗り上げて、防潮堤を破壊したとのこと。これは大変危険である。以前に市議会議員の活動をお手伝いしていたときに、沖合に係留されている土運船が津波で流されて陸地に乗り上げると大変危険だという話しを聴いていたが、そのようなことが今回起きたと言うことである。
我が家の目の前の川が溢れることは無かったが、堤防まであと1メートル余りまで水かさは迫っていた。もう少し台風の勢力が強ければ、それくらいの高潮になってもおかしくなかったと思う。
昨年の21号台風もかなりキツかった。今年に入って二週間前の20号台風も影響を受けた。
今回の台風は通過速度が速かったので、雨の被害を余り受けなかった。死者が少ない(12名)のもそのためだろう。
今回は、第二室戸台風以来の大きな勢力だったそうだ。それだけの歴史に残る強い台風の直撃を受けたと言うことで,停電も一週間くらいは覚悟したが、電力会社の尽力により一日足らずで済んだ。
台風はその後北海道にもかなりの被害をもたらしたとのこと。
台風の予報を見るには、まずは衛星画像を見るべきだ。日本広域がよい。そして天気図を見比べる。大きな渦を巻きそうな雲があって、天気図に熱帯低気圧と出ていれば、そのうちに台風になる。海水温が高ければどんどん発達する。あとは天気図を見て台風の進路を予想する。大抵は高気圧の縁を進んでいく。
少し仕事に差し支えた。
停電で冷蔵庫の中のアイスクリームが溶けた。
電気を使えない一夜を過ごし、防災への備えが重要であることを再認識した。
明日からは、普通の生活に戻れることを期待している。

眼鏡が新しくなった

マラソン走って、翌日は軽くジョギング。
11.64km, 1h20m10s, 761cal, u/d49m, 30° 68%
臨港線から芦屋川、山手幹線を戻り、ジムによって帰るコース。
まぁ、やっぱり疲れている。
翌日は、妻の勧めを聞き入れて走らなかった。
妻とナパのワインを開けて少しずつ飲んだ。北海道土産の珍味も少々味わった。
よいリフレッシュになったというか、やはり疲れている。回復は大切だ。
本日は、旧西国街道を東へ。武庫川を渡り、尼崎市内を走って尼宝線に出て、2号線を戻り、甲子園筋から旧国道、そしてジムに寄った。
18.78km, 2h03m02s, 1248cal, u/d 58m, 28° 66%
ジムでやることと言えば、グリップを使って腕立て伏せ。腹筋台を使って腹筋、背筋、それから懸垂など。
結局、マシンやバーベル等は使わない。そしてストレッチ。股割をするのが目標だが、なかなか難しい。
無駄な筋肉は付けたくなくて、むしろ削ぎ落としたい。
マラソンランナーは「逆三角形」の体つきである必要は全くない。


先日、眼科を受診して眼鏡の処方箋を書いてもらった。
検眼の結果、視力はほとんど低下しておらず、遠目の近視と乱視の度はそのまま。近くを見る凸レンズは少し度が強まった。
フレームを1つ選んだ。
私はメタルフレームが好きで、今までサングラスを除いて全てメタルフレームの眼鏡を掛けていた。仕事の都合だが、柔らかい雰囲気になる様な眼鏡フレームを選んでもらったら、透明なグレーのプラスチックフレームの丸眼鏡にすんなりと決まった。新しいフレームには遠近両用。他に、レンズに傷が入った今まで主に使っていた眼鏡はレンズを交換してもらった。他に、ジョギングとライディングに使っている遠目だけの眼鏡、暫くほったらかしていた形状記憶のメタルフレームには近用。新しい眼鏡以外に3つの眼鏡のレンズを交換した。新しい眼鏡はどうも馴れるのに時間が掛かりそうだ。恐らく、近用部分が広すぎると思う。視野の歪みを強く感じる。
馴れで解決すればよいが、場合によってはレンズを交換してもらうことになるかも知れない。
今使っている眼鏡で、一番馴染んでいるのはサングラスである。暗いところで少し見にくいことを除けば全く違和感が無い。


漫画家のさくらももこさんが亡くなった。乳がんとのこと。
治療法が進み、予後はかなり改善されているが、それでも厄介な病気であることは間違いない。
熱烈なファンでは無かったけれど、我が家でちびまる子ちゃんといえば、「おとーむ」である。書き初めのお手本を無くして宿題に取り組むまるこの苦悩を描く傑作である。


職場の模様替えをした。随分すっきりとした。仕事も捗るだろう。

2年ぶりに北海道マラソンを走った

唯一の夏のマラソンというのが、この大会のキャッチフレーズである。
コースは比較的フラットであるが、札幌市街地に長いトンネルがあり難所である。後半は新川通の直線がキツい。折り返しが見えず、体力を殺がれる。折り返したあとも直線は続き、北大構内に入るまでにどれくらい体力を残しているか。
前日、自分の勘違いで予定の飛行機に乗れず、神戸空港のANAカウンターの係員に随分と骨をおって貰い、2時間遅れて札幌入りすることができた。その2時間が後々に響いてくる。少し余裕を残して受付を済ませ、妹宅に向かった。地下鉄駅まで来るまで迎えに来てくれた。夕食が遅くなった。余りいろいろと考える余裕が無く、勧められるままにビールを二缶飲んだ。一寸呑みすぎたと思う。本来ならもう少し計画的に炭水化物を取るところであるが、ままならなかった。
目が覚めたのも、予定よりも2時間遅れて、朝食を済ませて余り時間がないままに地下鉄の駅まで送ってもらった。
かなりギリギリのタイミングで大通公園の出発地点に到着し、荷物を預けてスタート地点に向かう。待ち時間は少なかったが、慌てるほどでは無かった。
とにかく、完走が目標。結果として4時間を切るペースにもっていきたい。走り切るくらいの練習は出来ているはず。4時間を切るには、1kmを5分40秒を切るペースが必要であろう。スタートで時間が掛かるだろう。スタート地点にある温度計は24度を差していた。走っている間に気温は上がるだろう。
前半はできるだけゆっくり、後半にペースを上げたい。スタートのコールがあり、なかなか動き始めないと思っていたが、意外にすぐに走り始めることができた。
とにかく、ペースを上げすぎないことに気をつけながら走っていた。スマートフォンを持って、アプリを起動させていたが、ボイスアシストを切ってペース設定を自分の体感に任せることにした。周囲に釣られて思ったよりペースが速い気がする。特に、トンネル内はペースが上がる。5キロごとのチェックポイントにデジタル表示の時計がある。少なくとも1kmあたり6分のペースは上回っている。ゆっくりと言い聞かせながら走っていた。道が広く走り安いが、その分給水は苦労する。給水所の路面は水たまりができていて、紙コップが散乱している。初めだけ、走りながら飲もうとしたが、うまく飲めず、その後は立ち止まって飲んだ。新川通に入って、ようやく折り返し地点が見えたところでトイレに寄った。運良く待ち時間なし。その次の給水所で倒れているおじさんを救護した。そのようなことをしていて、25kmからの5kmは30分以上掛かっている。折り返してからは給水所がない区間が続く。コーラを配っているテーブルがあったが、そこをパスすると、当分何もなし。少し離れたところに自販機を見つけ、ペットボトルを一本買った。前回も同じことをやっている。
新川通は折り返しまでは向かい風、折り返し後は追い風になった。追い風になってからは体感温度が上がり、相当な汗を掻いた。妹夫婦と甥が応援してくれていた。ペースを上げたかったが、無理だった。何とか維持するので精一杯。自分がどれくらいのペースで走っているのかもよく分からなかった。どうやら4時間を切れるかどうか、ギリギリのようだった。残り2kmで少しだけ余裕があることがはっきりして、これ以上走りたくないと思いながら、ゴールの大通公園まで走り切った。後半ペースは上がらなかった。
大変疲れた。とてもキツかった。グロスタイムで3h59m17s、ネットタイム(スタートラインを通るのに1分40秒ほどかかっている)では3h57m30sとのこと。
疲れ切ったが、とにかく最後まで走り続けた。
2年前は3時間50分を切った。今年よりも暑かった筈だ。一昨年もきつかった。
走り終わって、来年もし出場したら4時間切るのがかなり困難だろうと思った。これは歳を取って脚力が落ちるからである。今回のレースに向けて、自分の努力がかなり足りていなかったことを痛感した。もちろん、仕事はあるし、家族のいろいろなこともあったし(娘たちの引っ越しや息子の体調不良、そして自分自身の身体のトラブル)それにしても、もっと計画的に努力はできたはずである。
4時間近く走っている間、自分自身のペース管理が全くできなかったことは結構ショックだった。普段、猛暑の中で練習している割に、北海道の暑さがとても堪えた。それから、走り終わったあとに着替えた場所に電話と眼鏡を置き忘れたり、出発の飛行機を乗り間違えたり、勘違いや忘れっぽさにも驚かされた。
走り終わって、特にどこも痛んでいない。少し休んで、次の目標に向かうべきだと思う。
神戸のマラソンに出ることにしたので、丁度よい目標になる。
記録へのチャレンジという意味で、私には余り沢山の時間は残されていないように思う。
具体的な目標を定めて、それが実行できるかどうかやってみることにする。
プログラムを見ると、大学時代の友人が何人か走っている。タイムを見ると、同じように苦しんでいるようだ。


Radius HP-G100BT

テストのつもりで、交換修理で手に入れたRadius HP-G100BTを装着して走った。ポッドキャストを聴きながら走るのだが、一応4.5時間程度動作し続けて、バッテリーロウのコールが聞こえて暫くして電源が落ちた。テストは合格と思ったのだが、それっきり充電ができなくなった。相当慎重に扱っているつもりである。手に入れてからおよそ一週間持ったので、上出来と言って良いのかもしれない。少なくとも、今まで手に入れた中では長持ちした方である。どうするか、またサポートに連絡して交換してもらうか。4つめか。新しく手に入れても、いつ壊れるか分からないイヤホンを使うのはウンザリするのだが。以前も、一度充電できなくなって暫くしてから動作し始める様なことがあったので、もう少し様子を見てみることにする。一応、報告まで。

追記(8/29)

もしかしたらと思って50時間ほどUSBケーブルを挿しっぱなしにしていたら、充電が始まったです。約3時間、問題なく使えたので、まぁまぁなのではないか。完全放電まで使うのはよした方が良いと思うが。使えるなら使います。当分使ってみる。

北海道マラソン前日

何とか出場にこぎ着けて、前夜札幌入りした。
これから受付に向かう。

昨年は脚の故障で出場を断念した。2年振りである。
当日受付不可で、前日も20時まで。遠方から参加する身には厳しいルールである。
空港で、とんでもないヘマをして、危うく札幌にたどり着けないところだった。ANAの担当者がいろいろ苦労してくれた。
思ったほどの練習ができなかった。7割程度の練習量と思う。
体の衰えを感じる。
猛暑、仕事の様々、家族の引越し。体調の悪い子供のケア(は、ほとんど妻に任せきりだったが)に、大雨や台風の影響も受けた。直前になって自分の体のトラブルもあった。
何より、セルフコントロールが十分でなかった。
6月は280km、7月320km、8月は昨日までで290km。
天気が悪い時に、ジムのベルトの上を走ったので、それよりは少し余分に走っている。
しかし、大会前に強度を上げるようなトレーニングはしなかった。酒は飲んだ。仕事は何とか片付けた。
どれくらい走れるか、やってみないとわからない。明日の気象条件にもよると思う。
4時間は切りたい。
3時間50分を一応の目安にする。
穏やかな気分でスタートしたいと思う。妹夫婦に面倒をかけている。

出張

東京に出張した。
日帰りである。朝6時過ぎに近くのJR駅から電車に乗った。
新大阪で新幹線に乗り換え。
寝不足で、ほとんどウトウトしながら東京に着いた。
東京駅から竹橋へ向かう。
会議に出席なので、ネクタイを締めている。私はクールビズを好まない。
大体、半袖シャツというのが信じられない。暑いからと言って袖をちょん切るのが認められるというなら、ズボンだってすっぱりちょん切ればよいのだが、誰も半ズボンで会議に出ようとしない。どうせ会場は冷房が効いている。
駅から歩く間は暑いが、それだけの話である。
ネクタイを締めて、ジャケットを羽織って会議に出たが、何の不都合もなかった。しかしながら、電車の中でも、会議場でも、ネクタイは絶滅直前である。
会議はなかなか有意義であった。
東京駅から大手町、地下鉄で竹橋まで。そこから歩く。
かなり気温が上がっている。
東京駅の駅舎が立派なのに驚いた。

地下鉄への連絡は、ずいぶん歩く必要がある。大手町から乗るはずが、東京駅の改札を通ったために、乗り換える必要があった。東京の地下鉄駅の老朽化は今後克服しなければならない課題だろう。
内堀通りから白山通り。ほんの少し歩いただけだが、あちこちが工事中で、オリンピック開催に向けて、色々なものを詰め込んでいるようだ。皇居周辺は、素晴らしく整っていて、時間があってもう少し涼しければ、良い散歩道になるだろう。

会議が終わって、まっすぐ新幹線駅に向かい、それにしても髄分歩いたが、帰り着いた。
オリンピック開催はかなり困難と思う。東京はすでに人が溢れているし、これ以上の都市づくりする余裕がないように見える。
オリンピック開催に税金が使われるのだろうか。賛否を示す機会がなかったように思う。