生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

教師は批判されることを嫌う

教師は批判されることを嫌う。
Nero氏のことについて、書こうと思う。ここでいう、教師とは、N氏を「掲示板荒らし」と断定し、N氏の契約するプロバイダに苦情をいった、中高年のパソコン教師とやらを含む、一般的に自分が教師であると思っている人を指す。
私はN氏のことをよく知らない。書かれた内容や、文体から想像するに、学生ではないかと思う。社会人ではないと想像している。よく知らないが、全く縁がない訳ではなく、N氏の無くなってしまったサイトは、さとみかんと云うアンテナで知っていて、時々拝見していた。彼のアイディアをマックで検証するお手伝いをした縁で、彼のページからおやこニュースへのリンクもあった。私の自前アンテナに、N氏のサイトが登録されていた。彼も、私がこの世にいることを覚えているかもしれない。
私は、「掲示板荒らし」の定義を知らない。定義の存在する言葉ではないような気がする。私なりの解釈ということになるが、ある掲示板のコミュニケーションを妨害しようという意志を持って、その掲示板を閲覧だけでなく、書き込みを行う参加者と云うことになる。管理人が「荒らし」と感じたとしても、当人がその意思をもっていない場合は、「掲示板荒らし」とはならないのではないか。「迷惑な人」、あるいは、「失礼な人」と、掲示板荒らしとは根本的に異なる。
私は、N氏が自分のサイトで話題にしていたホームページや、メーリングリストや、掲示板を直接見ていない。N氏のサイトの記述などで知るのみである。
実際にどういったやりとりがあって、そのときにどのような雰囲気だったか分からない。N氏のサイトで知る限り、私はそのようなサイトに興味がないし、私にとって見る価値がないと判断したので見なかった。
N氏にとってそのサイトがどういう価値を持つものか分からない。私は家族と過ごす時間と、仕事に取り組む時間の合間に、こういったことをしている。微妙なバランスである。興味のないサイトに、いちいち突っ込んでいる暇はない。N氏にとって、そのサイトは明らかに指向性が違う。価値観の全く異なるサイトである。N氏の指摘は至極もっともと私には感じられたが、指摘され、批判を受ける側は、そうは思っていなかった。一般に、自分の行為や意見について誤っているという指摘を受けることは、有り難いことである。しかし、価値観が決定的に異なっている相手や、尊敬できない相手からの指摘は、寧ろ単なる批判に思える心理は分からなくもない。ましてや、相手は教師を自負している。
N氏が行った、中高年教師のサイトに対する批判や考察のたぐいは、妨害、誹謗中傷などとは思えない。ただし、冒頭にも述べたとおり、教師の多くは批判されることを嫌う。教師は先生と呼ばれるために、権威が必要です。批判されることはしばしば、その権威に関わるから。
N氏が費やした労力や時間は、結局、(現在の途中経過を見るに付け)誰の利益にもならなかった。折角の指摘は迷惑な行為と受け取られた。N氏もそれを自覚した上でやっていた様なので、その労力はもっと別なところに向けられてしかるべきだったのではないか。
おそらく、N氏には、非はない。実際に法廷に出ることになり、民事か刑事か知らないが、N氏が法的な責任を取らされる事態になれば、それはかなり大事である。私にも関わってくるかもしれない。私も、自分のサイトの中で、色々なことに対する批判を行っている。(ただし、私は批判の相手から反応を得ることを全く期待していない。これとて、おそらく、N氏や、教師の目にとまることは無いと思う。)ウエブサイトで意見を述べることの是非に関わることになるかもしれない。
法的な措置というのは、ハッタリで、端から見ていると荒唐無稽である。プロバイダに苦情を寄せることは簡単で、教師がやる以前に、N氏がやっていたのではないか。N氏のサーバーは無料サービスで、残念ながら、会社が守るべき顧客のリストに、N氏は含まれていなかったらしい。
私から、申し上げることは、正しいと信じているなら、徹底的にやったら如何でしょう。
教師のやり方は、精神的に追い込むと云うことで、意図していたかどうかは分からないが、N氏が追い込まれていることは痛々しいほど。馬耳東風で宜しいのではないかと思う。
覚悟の上でやっていたのなら、深刻になるのはかえって滑稽。私が強調したいことは、良かったこと、もっと他にあるんじゃないかと云うこと。おいしいケーキを食べたとか、きれいなクリスマスツリーを見たとか。
バーチャルなんだから、そんなに思い詰めることはないでしょう、と云うのが私の見解です。