生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

自己責任について(つづき)

湾岸日記(5月1日)(引用中の強調は引用者による)
http://wangando.com/diary/2004/05/01/#A08

最初「自己責任」というのが使われだしたのは、退去勧告の出ている地域に赴いて人質にとられた3人を支援していた市民団体とかさらに深くて濃くて危険な団体とかが「3人が拘束されたのは政府が自衛隊をイラクに派兵したからだ」みたいな頓珍漢なことを言ったので、「悪いのは政府じゃなくてイラクに行った3人でしょ。政府に責任を転嫁するのはおかしいでしょ」という文脈でだったはず。別に危険な場所に行って大手マスコミに情報を流すフリージャーナリストが仕事の為にイラクに行ったのを直接咎めるフレーズでは無かったと思う。
ただ、危険な目に遭う可能性が高い場所に行くからにはそれなりの覚悟が必要で、無事に帰国して情報を高値で売ったり絵本を出したりして金を稼ぐか、失敗して今回のような騒動に発展して面倒なことになるか、どちらにせよ自分の自由意志で決めたことなんだから責任は自分に帰するよね、と。

話がこじれた、という点では、イラク派兵反対の立場の人が、人質事件を妙な方向に利用しようとしたから、という印象を持っている。私がここで云う、反対の立場の人とは、マスコミで、人質となった人たちの家族の記者会見を、TBS系ニュース23で見たが、ニュースは明らかに、人道的立場から、人質の解放を求めることを逸脱し、自衛隊の派兵に関する是非まで問題にするような内容だった。
(家族が撤退を求める会見は、おそらく、生放送であったはず。72時間後に処刑されるかも知れないという、きわめて切迫した状況で、「素人」の家族にマイクを向けた。家族は番組に利用された被害者という印象を私は持っている。家族の発言は、編集や取り消しが許されない状況でオンエアされた。番組を見た視聴者がどのように感じるか、ということは、救出の可否に関わる可能性があり、十分な準備と、状況の理解の上でおこなわれるべきだったと思う。)

一方、もう一つ私が感じた、状況を利用しようとした人たちは、政府である。これは、先の外交官の殺害事件の時にも感じたのだが、世論がどの方向に向くか、ということが、政府の政策(イラク派兵)を維持する上で重要なのだろう。悲報に際して、死を悼むというよりも、むしろ、「厄介な問題」を抱え込んだ困惑が見て取れた。
何故か彼らは英雄のような扱いになり、私は大変違和感を感じた。