生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

結果責任をとる

いつかしら、日本の偉いひとは、自分の行いに対する結果責任を取らないことが多くなった。
職場の大先輩によると、日露戦争の乃木将軍以来だというのだ。そんなものか、と思いつつ、御託を聞いていた。
山の中にダムを造ると、誰かが言い出し、いつの間にか本決まりになり、建設が始まるが、結局、山間の村人を里に追い出しただけで、たいした役には立ちはしない。お金を沢山失った。美しい自然も戻ってこない。
何かのサービスのつもりで、鉄道を造り、結局莫大な赤字を抱え、線路の残骸を晒すことになる。
たいした配慮も無しで、改訂にトンネルを掘ったり。
社会資本の建設に、純粋な政治家の使命感で行動したのならともかくも、大抵は胡散臭い下心が伴う。税金をつぎ込んだ上、生態系をコンクリートで固めるという、償いがたい失策。そのお金は、キミのものじゃない、という声は届かないんだか、聞こえないふりをしているのか。
誤った金融政策の結果、社会全体がおかしくなって、未だに不良債権の償却を続けて、政策を決めた誰かは責任を取っただろうか?
大地震がやって来て、行政がもたついたために被害は拡大した。その責任を誰か取ったのだろうか。
上に立つ人が自分の決定に責任を取らないのが当たり前の世の中で、フクダさんが辞めたことは、実に新鮮である。辞めたのが偉いとは思わない。へまをやったから辞めたのだ。
彼のヘマは、要するに、私や、他の多くの国民の将来に関わる大切な法律を決める論議を、決定的にしらけさせたことである。
彼だけではない。今、話題に上っている多くの政治家は皆同じ罪を背負っている。小沢さんは脱税に等しいといった。
他6名をかばっているそうり大臣も、結果責任をないがしろにするという過ちを犯している。
指導的立場の人間が、ヘマを認め、責任を取って辞職すること。これはなかなかの快感だ。その快感を思い出させてくれた点で、フクダさんは偉い。