生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

論議(習作)

論の受け渡しが始まると、底の浅さが知れる。他人の非は気になるが、自分の非には気が付かない虫の良さ。
「叩かれた」とも、「揚げ足取り」とも思えない。「釣られてしまった」ようにも思わない。
揚げ足を取って叩こうとしているように見える。釣られたのはむこうのほうだろう。
特定の出版物の読者に「反吐が出そうな行為」等と毒づいた方が、「今後は気をつけたほうがいいですよ」などと、パパでもない人に助言を期待する。ちょっと調子に乗りすぎると、一般人に反吐を吐きたい気分になる。あんな人目につくところに書かずに、僕に直接メールするか、ここのコメント欄に書けばいい、といいながら、自分は依然として目立つところに書き続ける矛盾。他人にあんな人格攻撃まがいのことをしたのは、ご当人だろう。
医者というのは、究極のサービス業だ。恐るべき特権をもつ。だから故に、100%の奉仕の精神を持たねばならない。と、私は思う。やくざだって何だって、患者として運ばれてくれば相対しなければならないのです。そんなことは当たり前だ。それを口に出すことを、恩着せがましいという。
医者を名乗りながら、特定の人に対して、反吐が出そうになるなんて、公の場所で云うのは間違っていると私は思う。
様々なビジネス書が紹介されている中で、やくざと銀座ママを二つ並べたセンス。そこから何かを学ぼうとする読者恥ずかしい行為に魂を売る、と云う表現。銀座ママが職業かどうか分からないが、思いこみと誤解に基づく表現であることは間違いないだろう。
差別していることに気が付かないことが差別の本質だと私は思う。