生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

この国は危うい

小学6年の長女が、夏休みの期間中、日記代わりに新聞のスクラップをする、と云いだした。購読している毎日新聞から、興味をもった記事を一日ひとつずつ選び、自分なりのコメントをつける。何とか夏休み期間をやり通した。
親から提案。自分で選んだ記事と、親が選んだ記事、二つずつとしたらどうか。
視野がいくらか広がるかも知れない。新聞の隅々に目を通し、その日の記事をひとつ選ぶだけだが、楽でなかった。何とかやり通した。
8月16日付けより、私が選んだのが、「戦後60年、「小泉翼賛政治」の亡霊」と題する牧太郎氏のコラムである。
コラムを読んだ娘は、難しい、とこぼした。そして、彼女のコメントにはっとした

小泉純一郎は「靖国」を“おもちゃ”にしているが二回出てきた。

スクラップの原本は、小学校にあるので、私の印象に残っているところだけである。
私がその記事を選んだ理由は、そこではない。

戦争には常に「大義」が用意される。(中略)
政党と新聞は「大義」に追随した。40年9月の日独伊3国同盟締結に政党は混乱して、一党として反対することはなかった。新聞も意見する勇気を放棄した。

私は、報道を読む立場である。新聞が意見する立場であるとするならば、読者はそれを支援する立場である。読者の堕落と新聞の堕落の相互作用が、国や市民を間違った方向に導く。
読者は、もっと新聞に対して意見をするべきである。