生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

いじめ

闇黒日記平成十八年十月三十日より引用

人が何故他人を苛めるかと言へば、苛められる人間が「惡い奴」だからだ――もちろん、本當に惡い奴だと言へないから苛めになる訣だが、苛めつ子がそれを一々立證する訣がないのであつて、兔に角苛められる側を「惡い奴」と云ふ事にしてしまふ。そして自分逹は「良い」人間のやうな顔をして誰かをいたぶる――これが苛めだ。理不盡に惡人と極附けられて、しかし人間にはプライドがあるから、苛められる側はそれを不名譽と思ふし、それで自殺もする。
ところで、苛められる側に「プライドがある」と云ふ事が、苛める側にして見れば「生意氣だ」「傲慢だ」と非難すべき理由になる。これは言ひがかりなのだが、苛める側の人間は、「傲慢」と云ふ事を惡徳だと信じてゐる――と言ふより、さう言へば相手を惡人に仕立て上げられるから、居丈高に「傲慢」と極附けて更に苛烈に苛めを行ふ。
(中略)
個人の人格を貶める行爲――それを「正義」の名の下に行ひ、その「正義」の實踐に醉ふ。苛める側の人間と云ふのは、實に道徳的におぞましい精神を持つてゐるのだが、それはこの「醉ふ」事に理由がある。彼等は、反省しないし、自分の行爲は完全な正義だと信じてゐるし――しかしそれらは全て問題の現象に過ぎない。快を貪る爲に行はれる苛めと云ふ行爲、それが餘りにも非人間的に行はれる事に問題がある。怒りは優れて人間的である。然るに、嘲笑は非道く機械的である。この機械的な嘲笑と云ふ行爲を、今の日本人の相當數が「良い事」だと勘違ひし、率先して實踐してゐる。何しろ素晴らしい陶醉を味はへるのだから、正しからうが正しくなからうが氣にしないで、多くの人が嘲笑を行なつてゐる。

ほとんど全文引用に近いが、そういうこと。良く読むべし。