生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

親の責任

ディズニーランドに連れて行って。友だちはみんな行っている。
とか、
みんな持っているから私も欲しいとか、そういう論議に親は負けてはいけないと思うので、私は自分の意見をしばしば子どもたちに押しつける。油断していると、子どもたちの意見を押しつけられそうになる。私がなにがしかの見解を持っているときは、意見を押し通す。
アパートの前に座り込んでゲームボーイに熱中する近所の子どもたちを見るのが嫌だった。今でも、ところ構わず携帯電話を弄る人々と人混みの中くわえタバコで歩く人は私にとって等価だ。
私は子供たちに携帯ゲームを与えなかったが、可哀想に思った妻が娘の誕生日にタマゴッチを買い与えた。案の定、子どもたちは熱中し、私は好ましく思わなかった。
1年ほど掛けて熱を冷ました。
携帯電話は便利なものだろうが、敢えてそれを持たずに生活することを選んでいる。私と妻と子どもたちは携帯電話を持っていないが、私たちは生きている。仲良く暮らしている。楽しい毎日を送っている。今のところ、それで大きな損をすることもないようだ。夫婦の意思の疎通は十分だし、子どもたちは私に恨み言を言うこともない。
子どもたちから携帯電話を取りあげる論議や、有害サイトから隔離する話に、私は加わる資格がないのかも知れない。
親が便利に使っていて、子どもから取りあげるのは筋が通らないと思う。何だってそうだ。そういうときに、親は子どもたちに嘘をつく。子どもは何時か大人になる。
私はフィルタリングは下らないと思う。子どもから携帯電話を取りあげる話で一番困るのは親だろう。親が携帯電話に頼っているなら、子どもが持っていないと色々と不都合を感じることだろう。
私が携帯電話を持っていない話を旧友にしたら、彼は「どうしたの?奥さんに取りあげられたの?」と言った。私は逆だと思った。浮気癖のある夫に対して、妻は携帯電話を持たせようとするのではないか。
子どもを携帯ネットワークの害(と云うものが本当にあるとして)から守るには、携帯電話を持たせて、それを親がチェックすればよいのだ。簡単ではないか。