生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

巨大なマラソン大会

注目度が高いよね。テレビの取材もあるし、沿道の応援も多い。しかし、でかすぎるマラソン大会はちょっとなぁ。東京のマラソンに出たいとは思わない。
マラソン大会は何度か参加したことがある。スタートに時間が掛かるような大会は嫌いだ。
私が走った最も大きな大会はロサンジェルスマラソンだ。14年前か。私のヒーローは瀬古利彦とカルロスロペスで、彼らが走ったコース(そのものではないようだが)を走るチャンスと思ったので出場した。体調が十分に整わず、残念ながら30キロ当たりで途中棄権した。私にとって唯一の途中棄権の経験だ。
私にとってマラソンは、心地よいものだ。自らの精神と体を調和させ、リズムを刻み続けるものだ。
ロサンジェルスマラソンに出たときに長女が1歳ちょっと、ちょうど妻が二人目を身籠もっており、その後、私たちは育児に追われた。私は走るのを止めた。10分、15分でも走るヒマがあるなら、育児を手伝うべきだと思った。私にとって走ることは生活と密着しており、毎日のごく普通の習慣だった。だからこそ、育児の忙しい間は自粛した。赤ん坊がひとりの間はまだ良かったが、ふたりめが産まれて以降、私はぱったりと走らなくなった。息子が幼稚園に通い出してから、少しずつ、仕事と家庭を犠牲にしない程度に、そして自らが心地よいと思える程度に走り始めた。
今でも仕事の合間に走ろうとしている。
色々なことに負担を掛けないように楽しむのがよい。心地よいと思うから走る。他人から強制されることは良くない。何か目標を設定するのも私のスタイルではない。私は今でも時々ジョギングするけれど、いつも一人で走っている。学生の頃は競い合うようなことがあったけれども、それ以降は一人で黙々と走っている。一人で走ることがよいと思わない。コーチは居た方が良い。誰かと話題を共有できた方が良いと思う。