生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

危機一髪のアクシデント

昨日、そこそこに走ることが出来たので、今日は久しぶりにフルコースを走ることにした。
体調の不安はあるが、やってみないとわからない。
調子を見ながら、無理せずいつでも近道をして戻るか、妻に車で迎えに来てもらうつもりで家を出た。
走り始めて、どうも身体が重いというか、足がだるいというか。ゆっくりと走り始める。
今日の目標を、ゴールするまで体力を持たせることに定めて、山を登り始めた。
ここで言う体力を持たせる走りというのは、最後まで背筋を伸ばしてしっかりと腕を振って、もう少し走れそうな余裕を持って走り切るという意味である。
登り坂が始まると、わりと身体が動いている。何とか最後まで行けるかもしれないと思う。気温が高めで、今日は長袖シャツとロングタイツでジャケットを着ていない。
ズンズン上り、4.5キロ付近。甲陽学園高等学校の前あたり、小さな橋の少し手前。狭い歩道の上に何かある。歩道と路肩を分けるフェンス、およそ1メートル幅程度の狭い歩道があり、ガードレールがあって車道である。時間は8時半くらいだが、西宮方面から車がどんどん上がってくる。薄暗い歩道の真ん中に、大きな石が置いてあるように見えた。少し近づくと少し柔らかそうなもののようだったので、植え込みかと思った。しかし、ここはもう何度も走っているはずだが、歩道の真ん中に植え込みなど無かったはず。よく見ると、およそ3メートル先のその植え込みは2つに分かれてこちらに近づこうとしていた。イノシシである。
絶対に動かないと保証してくれるなら、隙間を走ってすり抜けられるだろうが、誰も保証してくれそうに無い。私は取りあえず立ち止まり、二匹のイノシシをどうやってやり過ごそうかと考えた。逃げ場は、今上ってきた坂を戻って下るか、ガードレールを乗り越えて車道、そして反対側の路肩に行くか。
ガードレールを乗り越えようと思ったが、下からどんどん車が上がってくる。道幅が狭いので、車の流れが途切れないことにはガードレールを乗り越えられない。
イノシシたちが私のことをどう思っていたかわからないが、彼らもしばらくじっとしていてくれたので、私は怪我もせずにジョギングを続けることが出来た。車の流れがようやく途絶え、私はガードレールを乗り越えて道路の右端を走り始めた。そこからさらに山の中に入っていく訳で、どうなることか先が思い遣られる。「山火事注意」とか、「治山ナンタラ地区」とか、「土石流対策工事」と言うような看板が至る所にある地域なのだ。(高級住宅街ではあるが)
イノシシが散歩していた歩道は、山の中だが2つの高校の通学路で、先に住宅地もあるバス通りである。怪我人が出ればニュースにはなるだろう。私がそのニュースのネタにならなくて良かった。あと数秒気付くのが遅れれば、イノシシと組み合うことになっていたかもしれない。
少し余分な時間を取られたがそのまま走り続けた。7キロ地点の通過時間は42分37秒、2キロから7キロまでのラップは31分6秒だった。
登り切ったあと大変喉が渇いている気がして、苦楽園の交番近くの自販機でドリンクを買った。市立芦屋病院の向かいにある兵庫県警察学校の訓練交番で訓練中のおまわりさんが、突然ジョガーに敬礼し、大きな声で「ご苦労様です」と道路を挟んで声を掛けてくれたので、私も立ち止まっておまわりさんのところに行って、「あっち、北山公園の近くでイノシシ二頭に出くわした」と言うと、おまわりさんは「お怪我はありませんでしたか」というので「大丈夫でしたけど、人通りもあるところだし危ないと思います」というと「ご通報ありがとうございます」と言っていた。ちょっとぶっきらぼうな感じでしたが、その後何か対応してくれそうな雰囲気は無かったな。
何とか走り切って、大変疲れた。
20.45km、1h59m21s, 1213Cal, up/down 348m, lost water 1907mL
帰宅後ストレッチして娘に筋トレの助言。
かつて、30年前に私がもっと自分を鍛えていたときでさえ、20キロ走り切ると身体がばらばらになるような倦怠感を覚えたはずだ。
この歳で20キロを走り終えて、この程度の疲労感でいるということは、随分と余裕を残して走っているという事になるだろう。
実は、まだ少し右の股関節が痛む。登り切ったあとの急な下りで負荷がかかりすぎているようだ。
私は、もっと自分自身を鍛えたいと思う。
今日の20キロ、最後まで胸を張って背筋を伸ばしてしっかり腕を振れていたかどうか、どうかしら。
芦屋浜を抜けるときに、後ろから速いジョガー二人が追ってきて、思わずペースが上がってしまい、その後はかなりきつかった。
残念ながら、写真は無い。暗くて映らなかったと思うし、暢気にiPhoneを取り出して構えている余裕は無かった。とにかく、私が無事で通り抜けられたのはかなり幸運と思っている。