生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

謎は解けたというか・液晶モニターの前に座ること

あんまりよく知らないが、野球の勝敗を賭博の対象にして楽しむなんていうのは我が国では余り一般的でないと思う。
いわゆる反社会的勢力と繋がった組織が絡んで賭博が開帳されているのではないか。
最初の賭博の疑いが報道されたときに、本当にヤバい人たちが絡んでいるなら、表沙汰にするのは不自然と感じた。反社会的な人たちは、表に出ないように交渉し、お金を得るだろう。どう見ても下っ端の選手を表に引っ張り出しても商売にならないばかりか、自分の身が危うくなる。したがってこれはプロの仕業ではないと思った。
今日もまた二人が賭博で告発された。どちらも下っ端だ。
讀賣の選手だけが表に出るのも不自然だ。他のチームにも容疑が掛かる人は居て当然と思う。
なるほど、つまり。
下っ端を晒しものにして、交渉を有利に進めようとしている。証拠はこちらが握っている。これをオープンにすれば、多くの選手達に傷が付く。下手すりゃ次シーズンが吹っ飛ぶけど、それでも良いですか。
と、まぁそんな感じ。
勝手な想像ですが。


やらなければならないことをやり始めると切りがないというか。
仕事にいそしみ、何もせずに一日が終わる。お陰で、トラックにひき逃げもされず。私は無事です。


少し帰りが遅くなり、国道をバイクで走っていて、ワンボックスカーが眼に入った。後ろ座席に二つ液晶モニターが並んでいて、テレビ番組が映っているようだった。運転席にも同じようなモニタがあるかどうかは分からない。テレビを見ながら運転している人が少なくないことは知っている。
車のオーナーはパッセンジャーにテレビ番組を見せることがおもてなしの一つと思っているようだ。テレビを見なくなって半年以上になるが、車に乗せてもらったら否応なしにテレビ番組を流されるというのはどうだろう。テレビを見る習慣の無い人にとって迷惑な話かもしれない。
テレビを見るというのは生活習慣の一つで、そのような習慣がある人にはどこででもテレビが観られるのは豪華なおもてなしであるが、そういう習慣が無い人にはお節介で迷惑な話と思う。
テレビを日常的に見るということは「生活習慣」の一つなのだ。
どんな素晴らしい教養番組でも、10年に一度の大試合でも、国威高揚を目指すオリンピックだろうが、テレビを見る習慣が無い人には、意味が無い。テレビを見逃すという概念は、それを習慣としている人にとってのみ有効で、そのような週間が無い人にとっては、ごく当たり前のことなのだ、ということを路上を走っていて見かけたワンボックスカーの客室という密室内でテレビ番組に晒される苦痛を想像して感じたのでここに書いた。