生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

ペースが上がった・留学生活

先ずは、今日のアクティビティについて。
8時過ぎに帰宅した。妻が夕食を用意してくれていたが、まだバイトから戻っていなかったので置き手紙の内容に沿って自分で更によそって暖めて食した。
一休みしたあと、9時過ぎにジョギングに出かけた。今日は少し気温が高めで、ジャケットは羽織らず。長袖シャツAS、ロングタイツと帽子Ad、短パンとリストバンドNk、の上に半袖TシャツNbを重ね着した。山に行くつもりでおり、気温が少し下がるかもしれないし、下りは身体が冷えるかもしれない。暑ければ脱げば良いと思いウエストバッグにコインと電話を入れて家を出るときに妻が帰宅した。靴は黒いブルックスを履いた。
イヤホンはまだ手許に戻ってこない。
フルコースを割と調子よく走った。柏堂丁字路を左折し、北高交差点を右折、リハビリ病院から明治村経由であとはいつも通り。下りではなるべく腰の位置を高く保ち、腕を振って歩幅を伸ばすように意識した。にしても、きついコース。下りの事を考えるとブルックスくらいクッションが効いた方が楽に走れる。
20.10km, 1h48m55s, 1175cal, up/down 450m, 19°56%
半袖を一枚重ねて、丁度良いくらいだったと思う。臨港線に入ってから給水した。
終わってから、犬と一緒に公園に行って鉄棒にぶら下がった。


長女が留学先で食生活に苦労している。体重が減り、便秘がちになり、食べられるものが余り無いので孤独感を深めているようだ。
私が留学したときは、妻が一緒だったので、彼女がいろいろと工夫して食事を用意してくれた。ロサンジェルス近郊で、少し努力すれば東洋料理の食材は手に入った。丁度日本でも冷害で海外から米を輸入していたときである。私たちはカリフォルニアで一番上等な米を食べていた。もちろん、それでも日本の米よりはかなり安い。まぁ、当時は1ドルが80円のレートだったので、高いとか安いとかは余り当てにならないかもしれない。
ヤオハンというジャパニーズマーケットが少し車で走るとあった。近所には一般的なアメリカの食品スーパーと横にチャイニーズマーケットがあって、大体の食材は手に入った。また、妻はいろいろと工夫して料理を作ってくれていたと思う。
楽しめるものは楽しんだ。
巨大なアイスクリームやら、シリアルやら、ばかでかい牛乳ボトルやら、どうしても喰えないと思ったのはケバケバしいデコレーションケーキくらい。日本食ブームのような感じで、Yoshinoyaが開店して一度食べたが味が濃くて閉口した。
タイ料理やモンゴル料理など、さまざまなエスニシティのレストランも利用した。もちろん、Carl's JrやBurgerKing、KFCやBaskin and Robbinsなども気軽に使った。車があったのでいろいろなところに出かけることが出来たのだ。もちろんMcDonaldも入ったが、バーガーはユニバーサルで日本と変わらないと思った。サイドメニューが随分違っていたと思う。バーガーキングやKFCは日本のメニューの方がかなり美味しいと思った。これは後日来日した米国人の友人も驚いていたので、多分事実だろう。
朝食にシリアルを食べていて、体重が増えて驚いたのが記憶に残っている。
食事以外では、やはり風呂。私の住んでいたアパートは一応バスタブがあり、お湯を溜められるのだが兎に角浅くてゆっくり身体を温めるという雰囲気にならない。2年間、日本の風呂に入りたいと思い続けていた。友人のアパートのプールにジャグジーがあって使わせてもらったがぬるかった。滞在中に温泉地に旅行したが、要するに温水プールで、お湯が大変汚れていて良い気持ちにはならなかった覚えがある。(ワシントン州シアトル近郊だったと思う)
郷に入っては郷に従えということで、現地の友人の助言を良く聞くことをお勧めする。彼女たちがどのように生活しているかを観察し、そこから大いに学んでみてはいかがだろうか。