生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

実験の指導・ツイッター・歯科待合

新しい研究実習生が8名入って来て、研究室が大変賑やかだ。
8人まとめて実技指導するのは、いささか無理がある。
2人ずつ、4グループに分かれてもらって、それぞれ関係があるが別の作業をしてもらっている。
私が実験室に入ると、数名がほぼ同時に声を掛けて、疑問を投げかけてくるので、けっこう忙しい。一段落したら、それぞれに結果を報告と討論をしてもらって、情報共有を図ろうと思う。
マンパワーは大切である。
今朝は冷え込んだ。このごろ電車で通っているが、ようやく慣れてきた。電車の中の時間をもう少し上手に使いたいと思うが、実際にはそれほど長い時間では無いし、混み合っていてほとんど立ちっぱなしなので、文庫本を読むか、スマホを眺めて何かするというのが合理的に思う。気に入った本が見つからないと結局、ツィッターのタイムラインを追うことになる。
私が感じるツイッターの問題点を2つ指摘する。1つは、タイムラインが片寄ること。ある話題や趣味を追いかけて、比較的刹那的な興味に基づいてアカウントをフォローしていくと、どうしても片寄る。視野が狭くならないように気をつけねばならない。私は、気に入らないと思ったアカウントでもフォローし続けるようにしている。主義主張が自分と異なるものを外していくと、片寄ったタイムラインになってしまう。気に入らないなぁと思っても、一旦フォローしたら外さない。そうして眺め続けているうちにそのアカウントの価値に気付くことも多い。
もうひとつの問題点は、少し時間をおいてタイムラインを開いたときに、その前に眺めていたタイムラインとの間に時間的なギャップが生じること。遡らなければならないが、どこまで戻れば良いか分からない。これを解消するために、今までのツィートの概要みたいなまとめが表示されるけれどもタイムラインと馴染まない。iPhoneでTweetbotと言うアプリを使っているが、これはそれまで見ていたタイムラインから表示が始まるので、タイムラインを追いやすい。
私は自分が発信するよりも、興味深いアカウントのツィートを読むことと、ニュースを追うことに主眼を置いている。たまに気になる話題があれば、検索する。そんな使い方をしている。フォローは150アカウント程度で、これなら何とかタイムラインを追うことが出来る数である。フォローが少なくても個個のアカウントのツィートが多いと大変だけれども。
自分がつぶやくのは、その日の日記を書くための覚え書きの意味合い。それからブログの更新の通知、ソーシャルブックマークの通知くらい。別に自分のツィートが誰かの役に立つとは思わないので、フォロワーを増やしたいとは思わない。むしろ、スパムアカウントや特に私が興味の無いアカウントは積極的に削除(ブロック)している。
そんなわけで、ツイッターの中にはあまりお友達も居ないし、リプライが来たり送ったりすることはほとんど無い。交流の目的には使いたくないと思っている。誰にに見られているか分からないし。
まぁ、おおよそ日記の下書きである。何年か後に自分のツィートを見て、懐かしく思い出せれば良いと思う。


学生さんたちは実験をしていたが、私は歯科の予約があり、学生さんたちを残して職場を出た。
歯科の待合に居ると、息子が入って来た。昨日から痛みがあると言っていた。歯ぎしりのせいでエナメル質が削れて薄くなるとのこと。私の前に診察室に入り、治療を受けていた。先日の私学入試の成績開示を見て、思っていたより点が取れていなかったから落ち込んでいるかと思ったが、至って平然としていた。
息子が飛び込みで診察を受けるなどで、歯科ではけっこう待たされ、今日はジョギングを取りやめ。
犬と散歩に出ると、みぞれが降っているように見えた。


先日の義理チョコが1つ残っているはずと思っていたら、息子が食べてしまったらしい。
夕刊を見ると、小澤征爾氏がグラミー賞を受賞したというニュースが一面真ん中辺り。オペラは興味を持って聴いたことが無い。機会があれば聴いてみたい。
その上、トップの見出しは、川崎市の老人ホームで入所者が転落死した事件で、元職員が殺害を認めたというニュース。理解不能である。
私の理解できないことを考えて行動する人たちについて、理解しようと努める必要があるだろう。
歯科の待合にテレビがあって、バラエティ番組を見た。いろいろと感じるところがある。まぁ、暇なら良いが、そうで無ければ時間の無駄と思う。