電車の中で、しばらく時間があるので何か書こうと思いました。
歳を取ったなぁと、思うわけです。
毎朝鏡に向かい自分の姿を左右裏返しに眺めたり、このようなことを書いていても、人生の三分の二が終わってしまったことを痛感するわけです。
私は自分がそれほど長生きすると思っておりませんので、今まで生きてきたそしてこの後息絶えるまでの時間という尺度で慮ると、正しく三分の二が終わってしまったのですが、生活している間に成し遂げうる事柄の可能性とか、創造性というような、異なる基準を尺度にするとその評価は違ってくると思います。
この場合、「気持ちの持ちよう」という使い古された表現を枕詞につける事が適切なような気がします。
私は、取り敢えず走り続けると思うのです。
若い時ほど速く走る事ができないのは明らかですが、若い頃にはとてもでないが達成できなかったような走り方を今しております。
更に年老いて、できない事が増えて行くのでしょうが、何かをやり続けていれば別な評価の基準を見つける事ができそうです。これは驚くべき事です。
詰まり、私には何かをやり続ける事が必要なのです。