生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

パートナーを失うこと

土曜日は三宮のバーで長女が絵を描くことになっていた。ライブペインティングである。
妻と二人で出かけることにした。
私は犬と散歩をしてから職場に出かけ、夕方まで仕事。妻は土曜日もパートに出かけ、体調が心配だったが参加可能との連絡があり、三宮で待ち合わせることにした。職場から三宮に急いだ。
駅の改札で妻を待っていると、次女から別途こちらに向かっているとメッセージが入り、駅で落ち合うことにした。その前に、長女の留学生の友人が三宮のカフェに居るという連絡が入った。
結局次女と落ち合ってから、長女の友人をカフェに迎えに行くことにした。
四人で連れ立って寿司屋で腹拵えをした。予定より少し押したが皆満足してくれて良かったと思う。
ライブペインティングの会場は、在留外国人のたまり場になっている様な店だった。
奥のステージでロック音楽の生演奏があり、混雑して騒々しい店内で長女が絵を描いていた。
長女や妻の友人も来ていて、楽しいひとときだった。


ある俳優の妻がガンに冒されて、治療を受けているという話を聞いていた。手術を行い、抗がん剤による治療を受けるとのこと。本人が闘病を公開して話題になっていた。
ずいぶんと著名な方らしく、死去が大きく報道されていた。
私は夫の俳優の方はテレビのドラマなどで活躍の様子を知っているが、配偶者の方がどのような活躍をした方か具体的には存じていない。
だから、その方が亡くなられたところで、とくに感じることは無い。気の毒だと思う。それだけである。
病気を公表し、闘病記を公開すると決めた時点で、予後について具体的に主治医から告げられていたと思う。
死去の報を聞いたとき、随分早かったと思ったのは、マスコミが元気な頃の彼女の画像を出してニュースを伝えていたせいで、元気そうな姿をイメージしていたからと思う。
私はパートナーを失う経験をしていない。そのうちに、私か妻かどちらかが先に死んで、もしかすると私が後になればパートナーを失う気持ちを理解できるのかも知れない。想像で言葉を述べるが、予め病気と分かっていて、予後が余り良くないことを知らされていたのなら、できる限りのことをしてあげたという満足感のような気持ちを抱くことはあるのでは無いか。それでも、やはり思い通りにならなかったという喪失感もあるだろう。
そのどちらも感じるとして、満足感より喪失感が少し上回るくらいになるのではないか。
残念だが、どちらかの死によって二人のパートナーシップが引き裂かれることは当然の帰結である。そのような状況を迎えた時に、喪失感が上回るとしたら、それは素晴らしいパートナーに恵まれたということだろう。
夫婦というパートナーシップを経験していない人には理解しがたい感情であろうと思う。