生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

近況

大変忙しい。
それでも、何とか時間を作り少しずつ走っている。その分、日記を書くことが疎かになっていた。
私は、自分の日記を書いて公開している。私はこういった公開の日記をかなり長いこと書き続けているが、最近になって思うところがある。
私的な日記には、自分だけでなく自分が係わる周辺の人々が登場する。
私の場合は、妻や子ども達が身近に居るので、日記の中に出てくることがある。職場では同僚やボス、そして学生さんたちと係わるので、個人を特定できないような形でそれらが日記に出てくることもあったと思う。
いろいろなことが順調に進んでいれば、日記に書くことも増えてくる。しかし、子ども達はいずれ成長し、自我を持ち始める。私たちは老いて、衰えていく。楽しいことはむしろ少なく、書いて気分が滅入るような話題が増えていく。
そうなると、なかなか書きにくいのである。
私がフォローしてるツイッターのタイムラインの中にも、神童のような子ども達の素晴らしいいろいろが紹介されることがある。素晴らしい子ども達のほとんどは、子供という存在そのものが素晴らしいのであって、その子たちが子供でなくなったときには素晴らしい子供ではなくなることが多いのである。
順調に学校を卒業し、進学して立派な仕事に就く様なことはありふれていて、書いても面白くない。今私が経験していることは、文才に恵まれた有能な書き手に委ねればそれなりに面白い話になりそうだが、私のような者にはとても処理しきれるものではないのである。
しかしながら、確実に言えることが2つある。1つは、子育ては子ども達が子供でなくなってからが本番であること。20年以上子ども達と付き合ってきて、今が一番厳しいのである。もう一つは、この歳になって未だにわかっていないことだらけだということ。私は未だに自分が何であるか分かっていない。今から30年前の感情を今でも覚えているが、それが何を意味していたのか今でもよく分からない。当時はそれが恋愛感情を抱いているということだと思ったが、思い返すと何か勘違いをしていたような気がする。30年余りの間にいろいろな出来事があり、その度にさまざまな感情が去来した。今思い起こすと、結局私は何もわかっていないと思う。それほどに、二人の関係(ここで言う「二人」は一般論としての二人である)は奥深く、私はそれを理解するのに時間が掛かり、理解したと思ったときには既に状況が変わっている。
来週になれば、私は二人の間に新たな何かを見つけていることだろう。
少し私の回りが変わったことは明日以降に書くことにする。