生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

もう三時だ

三時過ぎた。
仕事を片付けるために、つい先ほどまで掛かった。寝る前にひと言書いてから寝る。
チェリストが演奏するBWV1004 Chaconneが流れている。これが終わるまでに何かまとめたい。
イヤホンの話はどこかに詳しく書くつもりだ。まだ片付いていないし。
何かのけじめのつもりでJaybirdX3は白を選び、ヨドバシに注文した。既に届いて使い始めている。先日オーブンレンジを注文したときのポイントがあったので、他で買うよりコストが節約できると判断した。ヤマダの店頭で見た値札はびっくりするほど高かった。
白は目立つ。ちょっと気恥ずかしい。

Radiusはバッテリーが不調。2時間ほどしか保たない。交換修理と言うことになると思う。


先日、与党の代議士が

「お母さん」「お母さん」というと、「萩生田さん、子育てを女性に押しつけていませんか。男の人だって育児をやらなきゃだめですよ」とよく言われるんです。その通りだと思います。だけど、冷静にみなさん考えてみてください。0~3歳の赤ちゃんに、パパとママどっちが好きかと聞けば、はっきりとした統計はありませんけど、どう考えたってママがいいに決まっているんですよ。0歳から「パパ」っていうのはちょっと変わっていると思います。ですから逆に言えば、お母さんたちに負担がいくことを前提とした社会制度で底上げをしていかないと、言葉の上で「男女平等参画社会だ」「男も育児だ」とか言っても、子どもにとっては迷惑な話かもしれない。子どもがお母さんと一緒にいれるような環境が、これからはやっぱり必要なんじゃないかと私は思います。

と、講演で語ったそうだ。
これは間違っていて、赤ん坊にとっては母親でも父親でも、全く赤の他人でも、当座は誰でもよい。要は、覚悟を決めて相手をしてくれる人を信頼すると言うこと。その点、多くのお母さんは立派で、父親はこの代議士さんが仰るような主張の許に肝心なところで育児から逃げるので赤ん坊から信頼されない。父親は甘やかされていると言って良いだろう。夫婦の間での役割分担はそれぞれが話し合って決めたら良いと思うが、現実には、母親が育児を担当する前提で社会の仕組みが出来上がっていることに留意したい。これは家族という組織の中の岩盤規制のひとつと捉えることができる。これを言い訳にして育児から逃げることが日常的に行われている。育児休暇の取得を義務化し、夫婦間での育児負担の均等化を図れば、女性の社会参加も進むだろう。少子化対策としても有効と思われる。
お休みなさい。