生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

意気投合する

久しぶりに、古いアルバムを引っ張り出した。少し酔っ払ったついでである。
少し前のつもりでいたら、既に20年以上が過ぎている。アルバムの中の私は若い。妻も若く、いま二十歳そこそこの三女がとても良く似ていて驚いた。
長女がまだ産まれる前か、生まれたばかりである。
自分が子供の頃に、両親の古いアルバムを見たときのことを思い出した。子ども達に、説明しなければならないことが沢山ある。
写真を眺めながら、昔のことを思い出していた。
私たちは、何時もうまく言っていた訳では無い。数年前には、もうこのまま二人は口をきかずに分かれるのかも知れないと思った時期もあった。ちょっとした誤解がもとなのだ。どのようにして誤解したのか、誤解を解消したのか分からない。私たちはこれからも一緒に暮らしていくことにポジティブである。
アルバムを見ながら、アルバムに並ぶ写真の、さらに少し前のことを思い起こす。私たちはどこかで意気投合したのだ。そのようなことを繰り返しながら、一緒に生きていくことに決めたのだ。
アルバムを見て、二人は大切なことを思い出し、確かめるのである。簡単にキャンセルできるはずはない。
そのアルバムに並んでいる写真に写っているのは、昔の私と昔の妻の二人だけではない。私たちに関わったさまざまな人たちの25年前を映し出している。思い出の一部は、アルバムがあるから私の心に思い起こされるのである。
写真には、私たちが意気投合したことまでは映っているわけではない。映っているさまざまを見ながら、私たちが意気投合したときのことを思い出すのである。
古いアルバムには、驚くほど色々なことが映っていて、そして肝心なことは何一つ映っていない。