生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

番組の宣伝のことを番宣という

日曜日。
少し寝坊した。グラノラとコーヒーで朝食を済ませて犬と散歩に出た。
薄曇り。すっきりしないお天気と感じた。部分日食だったのだが、全く失念していた。
昼食は息子、姪をつれて近所のうどん屋に行った。
一日家で仕事し、ジョギングもせず。
色々と気にしなければならないことがあり、その中には私たちの生活と密接に関わるようなことも含まれている。世界の平和に関わるようなことも。しかしながら、世の中はもっと下世話なことで賑やかだ。
通販会社の社長が、一億円を原資として不特定の100名に現金で還元すると言い出した。100万円の資金提供である。希望する人はオンラインで名乗るようにとのこと。売り上げを還元するなら株主や顧客を対象にするのが筋と思うが、名乗り出た不特定多数が対象である。彼の会社の業績についてはよく知らない。利用したこともない。このイベントで沢山の人が釣れているらしい。彼がそれで原資に十分に見合う収益を上げる見込みがあるなら素晴らしい商行為と言うことになるだろう。但し、どのように収益を上げるつもりなのかは分からない。
自分の発言がどの程度の影響力を世間にもつのか、あるいは100万円というエサに、どれくらいの人が喰い付くかの実験をして確かめているのかも知れない。100万円に釣られる人々のリストを作っているのかも知れない。
私は株主でも顧客でも無い。その会社の経営が今後どうなっても関係ないので、高みの見物である。リストになを連ねるつもりもないので気楽なものである。
正月がこの季節であることの理由をとあるウエブページで読んだ。古代ローマの暦に由来しており、軍事的な意味合いがあるとのこと。日本では4月1日が年度初めとしてさまざまな切れ目になっているから、1月1日に正月を祝うことにはほとんど意味が無く、もっと別な日(建国記念日や年度初め)を新年として祝えば良いように思う。
何も考えずに、そのような暦を受け入れてバカ騒ぎするのが今のマスコミである。正月もすでに六日だが、今日もテレビではスタジオに晴れ着の女性を登場させる番組が並んでいて、これはある種の性的な差別と感じる。
そして、新年を境に始まるドラマの番宣が延々と続いて呆れるばかりである。特にNHKは国営ではないが、広く視聴者から受信料を集めて放送していることから、別に視聴率などに拘る必要は無く、良質の番組を提供すれば良いはずである。ドラマを作るなという話ではない。そのドラマがどれほどのものか分からないが、そのために本来の素晴らしい子供向けの動物の生態を伝える番組が下品なジョークで塗られて番宣に利用されるのは全く理解に苦しむ。このドラマのために、年末から新年に掛けて凄まじい量の番宣番組が流された。そしてそのドラマそのものも、来年行われる予定の国際体育大会中継の番宣なのだ。国際体育大会については、私の生活にはほぼ関係のないことで、それらが話題になることで他の重要なさまざまなことが先送りされることが心配だ。会場の整備に膨大な国家予算がつぎ込まれていることも気になっている。私たちの未来は本当に大丈夫なのだろうか。
公共放送局は何時からあのように番宣を延々と流すようになったのだろう。番宣は規制があってしかるべきだ。
やるなら新聞広告を出したら良いと思う。