生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

中島新橋を渡る

ジョガーとして、お天気が心配である。
ウイルスの流行が重くのしかかってくる。余計な仕事が増える。走るのには邪魔になるが、気持ちを取り直して走る。
黙々と走っている間に、私は瞑想している。素晴らしいアイディアが生まれることを期待している。慥かに、私はうっとりと未来を見通すことが出来る。ジョギングというのはそういった大切な時間である。
走り始めたら、走り終わるまでその時間は続く。
三時間に渡り瞑想が続く。浮かぶ素晴らしいアイディアを、私は捕まえなくてはならない。
今週末は久しぶりに職場には行かず、家で過ごした。そういう時は明るいうちに走る。
身体が重い。少し休むと身体が酷く鈍った気分になるのは、歳を取って気持ちが衰えている証拠だろう。
土曜日は、朝から家屋調査があり、午後から走り始めた。マップを眺めて、今まで走っていないところに行くことにした。
尼崎の東海岸町である。臨港線を突き当たりまで走り、出屋敷から43号線を通ってしばらく東に向かって走ってから右折する。運河を渡り日本製鉄の工場を眺めながら埋め立て地を走る。跳ね橋があり、さらに走って行くと更地、公園。海を眺めながら走ることを期待していたが、工場と岸壁、堤防があり、景色は期待外れだった。道沿いにあらゆるゴミが捨てられており、おおよそ生活に必要なものは全て揃うのでは無いかと思うほど。
中島新橋を渡り大阪側を走るつもりでいたが、距離が長くなりすぎるので諦めた。
翌日、ほぼ同じ道を走り、埋立地には行かずに左に折れて中島新橋を渡ることにした。歩行者用に設置された階段を上って橋の側道を渡る。私は高所恐怖症ではないはずだが、足がすくみ恐怖が先に立つ。この橋はもう二度と渡りたくない。尼崎、大阪の湾岸地帯は、そもそも人々が生活することを重視していない。工場があって自動車が走ってそれらが全てに優先している。この橋も、人が渡るためのものではない。
渡りきった先も、道があるだけ。私は道があれば走る。
走り続けていると、埋め立て地の中に突然住宅地が現れる。なぜそこに人々が生活しているか、理解に苦しむような住宅地である。
私は何とか帰ってきた。週末の過ごし方としては、有意義だったと思う。今までに見たことのないような町並みを目にした。
ゆっくりとであるけれど、走り続けることが出来た。
感染症とどのようにかかわるべきか、私なりの答えを出す必要がある。しかしそのために、十分な情報が与えられているとはとうてい思えない。
苦難の1ヶ月である。誰もが苦しんでいる。