生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

歩く

数年前から、1月17日は職場から歩いて帰宅することにしている。
防災訓練の一つ、そして、震災の犠牲者を悼む行為と捉えている。
普段は、電車とバスを乗り継ぎ、1時間足らずである。
今年は都合で1月18日に決行することにした。1日ずらしたのは、17日の日曜日に仕事があって早く帰れそうになかったから。
26年前、私の職場から自宅にかけて、私の通勤ルートは震災のために壊滅的な被害を受けた。神戸大橋は通行できなくなり、阪神本線も高架が落ち脱線して、不通になった。
いつもなら、東遊園の慰霊行事に立ち寄るが、今日は神戸大橋を渡ってからそのまま国道2号線に向かい、岩屋駅から先はできる限り阪神電車沿いを歩くことにした。
道には亀裂が入り、電車は動かず、家が倒壊し、あちこちで火災が発生していたはずである。停電し、多くの人々が家に入れずに路上や公園で一夜を過ごしたと聞いている。
自販機は使えるし、コンビニも開いている。電車ももちろん通っていて、定期券を持っている私は駅のトイレにもよることができるだろう。歩けなくなったら、電車に乗れば良いのだし。気楽なものである。
リュックサックに弁当箱やらなんやら。大して必要もないものが入っている。かつて人々は水や生活に必要な物資をリュックサックに詰め込んで、この道を歩いたに違いない。26年が過ぎて、薄暗い夜の道ではその痕跡を探すのも難しい。
緊急事態宣言の影響で、ほとんどの店が閉まり、人影も疎らである。
川を越えるごとに、橋の上から写真を撮ることにした。最初に生田川を越えた。
住吉川を越えるあたりで、雨粒が落ちてきた。そして、東灘から芦屋に近づくにつれて太ももの筋肉が痛みだした。
普段からジョギングで20kmくらい走っている。歩くのは、走るのと違う動作が必要ということだろう。痛みを堪えながら歩き続けた。
空腹である。昼前11時頃に昼食を済ませたきり、何も食べていない。
そのまま、最後まで歩き切った。大変疲れた。
18kmちょうど、約3時間かかった。
かなり雨に濡れた。
気力が萎えることはなかったが、体力的には相当キツかった。後に引きそうな筋肉痛である。
もう少し早くスタートしたかったのだが、仕事が片付かず、帰宅は9時少し過ぎになった。