生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

微熱

ようやく、一段落付きつつある。
仕事の話。
今日はジョギングに出かけた。久しぶりである。
アプリの履歴を見ると、走るのは一週間ぶり。間に一度ウォーキングしている。
右大腿部の違和感があったので、走るのを控えていたというのはある。金曜日の宴会で飲みすぎたダメージを二日ほど引きずったのもある。宴会が立て込み、走っている暇が作りにくい。それ以上に仕事が切羽詰まっていた。
日記を書いている暇というか、余裕が持てなかった。
走らずにいる間に、何故か両足指にしもやけができた。
今日は、一枚余分に着込んで走った。長袖のアンダーシャツの上に半袖シャツを一枚重ねて、長袖シャツを着てウインドブレーカーを着込む。ネックウォーマー。タイツにオーバーパンツ。ニット帽、手袋。
臨港線から魚崎の酒蔵通りを抜けて、徳川道を通って帰ってきた。
22.16km, 2h14m54s, 1330cal, u/d 113m, 5°
あまり調子が良くなかった。大抵は帰り道の方がペースが上がるが、身体がだるい。熱がありそうな感じである。
そういえば、長女が発熱とのこと。病院に行って薬を出してもらったようだ。
就活で夜行バスに乗る生活がきつかったのかも知れない。
次女は卒論に取り掛かっている。ワードの使い方を少し助言する程度の手伝いなら出来る。
走り終えてひと休みして、風呂に入って、今は微熱があるようだ。
息子の調子が良くない。学校に行きたがらない。
妻が息子の相手をしている。妻の大変な忍耐力に驚く。
素晴らしい。
出会って30年余り、結婚して25年ほどになる。
子育てを始めて23年余りだが、今が一番きつい。難しい。
妻はパートナーとしてほぼ完璧である。
別に、何か大変な資格や特技を持っている訳では無い。彼女のすごさを言葉で表現するのは難しいと思う。
私にとって妻以上の人と出会うのは相当に難しいと思うし、家族にとって不可欠の存在である。
このように思える相手と出会って今まで一緒に生活し、今後も当分はパートナーとして共に生活できることは大変な幸運であると思う。

足の痛みと老化

先月の中頃にジョギング中に右脚が痛んで途中で電車に乗って帰ったことがあった。

此の頃、わたくしの右脚はよく故障する。8月のマラソンを諦めたのもそれが原因だった。

先週、12月5日のことだが、走り始めた時から右足に違和感があり、温まってくれば気にならなくなるかと思い走り続けたが、5kmほどで痛みが強くなり走るのをやめて歩いて帰った。

その後はウオーキングと組み合わせて、騙し騙し走っている状況になっている。

ゆっくりと走り始め、ペースが上がらないように気を付ける。痛むようならいつでも走るのを止めるつもりでいる。歩くなら特に問題はないことを確かめている。10kmほど進むと違和感を感じる。痛みと言うわけではない。慎重に走り続けて自宅に戻る。そう言う走り方なら続けられるようだ。

忍耐が要るが、冷静に体調を気にしながら走り続けるのもそれなりに有意義と思う。

そのような状況が続いているが、怪我と言うより単に老化ではないかと言う気がする。であるなら、この後のわたくしの生活は、この様な思い通りにならない自分の体と折り合いをつけながら行きて行くと言うことになるのだろう。

少なくとも、この様な状況に慣れる必要があると思われる。

感想として、適切な言葉がすぐには見つからない。

iPad Proを購入した

職場で使うために、iPadProを購入した。
10.5インチモデル。Apple Pencil、レザースリーブをセットで購入した。
学生さんへの講義のプレゼンテーションに、私は普段からiPadを使っている。
講義資料そのものはPhotoshopやIllustratorで図を作ってKeynoteで編集して、それをpdfにして印刷して渡してiPadでプロジェクターに投影する。
今まではiPadminiにGoodReaderを起ち上げてpdfを表示させていたが、iPadProになって、ApplePencilを使えるアプリを入れ直して、プロジェクター上の資料を見せながら、ドンドン書き込んでいく。iPadminiで指で書き込みはできたが、ApplePencilの繊細さに較べると雲泥の差である。
学生からは、私の字が雑で読めないと批判されてきたが、これだけでかなり改善されていると思われる。
他に、iPadPro/ApplePencilの組み合わせはノートのメモ書きを全てこれで置き換えることができる。何しろ、ノートが行方不明にならないのが有り難い。pdf化してパソコンに保存したりメールに添付したり印刷したりできる。
メモにはNoteshelf、講義にはGoodNotesというアプリを使っている。
予算としておよそ10万円ほど掛かったが、たいへん良いと思う。

大学生の時に初めてワードプロセッサを使って、物事を考えて纏める道具として革命的と感じた。PadPro/ApplePencilの組み合わせは、その時に匹敵する変化をもたらすと感じている。

広告

テレビを余り見ない我が家のマスメディアは、主にラジオと定期購読している新聞である。
あとは家族各々がパーソナルメディアとしてインターネット経由で情報を得て情報交換している。
妻は新聞を毎日熱心に読んでいる。私も時々読む。
新聞を読んでいて気が付くことの1つは、新聞の見出しのいい加減さである。もう一つは、恐らく老人向けメディアであると云うこと。広告を見ると分かる。
新聞というメジャーなメディアであるにもかかわらず、そこにはスマートフォンの広告は無い。自動車の広告も無い。コンビニの広告も、インスタント食品の広告も無い。
昭和時代の復刻版音楽CDとか、関節や骨を強くする健康食品や、驚くほど元気になる何かや、紙おむつや、トイレが近くて困る人の薬や、温泉旅行や、そんなのばっかりで、明らかに高齢者向けの広告である。
偶にテレビを点けると、色々な広告が騒々しい。テレビは未だにもっともポピュラーで普遍的なメディアの立場を維持している。人々のお金がどこに向かって流れ込んでいくのか、テレビを観ていると想像がつく。スマートフォンなどの情報電子機器端末とその契約、音楽、薬、お酒、自動車、などなど。番組の合間の僅かの時間に詰め込もうと、早口でまくしたて、あまり良い心持ちにならない。
電車の吊り広告に至っては、もう滅びかけている。沿線のイベント案内や、系列デパートや遊園地の案内、通学定期ユーザーの高校生に大学の受験案内が関の山である。今や、電車内で乗客の8割はスマホを見ている。吊り広告に何か期待する人など殆どいない。後は高利貸しの広告と、高利貸しに払い過ぎた利息を取り戻すことに関する法律事務所や司法書士事務所の怪しげな広告。
インターネット広告は混沌としている。閲覧者の閲覧行動を反映させたような広告が延々出る。何かを検索したら、それに係わる広告が出続ける。それはもう解決した、この前買った、というのに出続ける。我が家のWiFiで家族の誰かが何かを検索すると、広告にそれが反映されるようだ。子ども達が何に興味を持っているか、広告を見ると分かってしまう。
スマホの広告に至っては、胡散臭いものばかりである。「ちょい悪オヤジ」の「止められない神アプリ」やら、「稼げちゃいました」やら、どう考えても怪しい。
タップしたことは無いので、何が出るかは知らない。
テレビ広告はもう何でもありで、広告が無い筈の公共放送もニュースに名を借りて番宣をやっている。
昨日息子が観ていた民放のフィギュアスケート中継には女優がゲストとして招かれ、スケートとは全く関係が無いその局で放映されるドラマの宣伝をしていた。ファンにとって、このようなやりとりで時間を潰されることは、中継を見るための義務的な何かといつの間にか割り切っているのだろう。偶に観る私は、数百万人の時間を興味の無いドラマの宣伝のために数分間無駄にしているように見える。

途中から歩く

冬型の気圧配置だそうだ。
冷たい風が吹いている。凄く寒いとは思わない。故郷を離れて30年余り過ぎた今ごろになって、故郷の厳しい冬と較べている。
ジョギングしているせいかもしれない。
氷点下の冷え込みの中、ウインドブレーカーの隙間から湯気を上げて走っていた。走り終わると汗がウインドブレーカーの内側で凍り付いていた。
その様な経験から、今日の寒さを推し量ると、全く大した寒さでは無いことになる。
息子の調子が余り良くない。特に、朝は調子が悪いようだ。自分の高校生時代と較べる。似たようなものだったかも知れない。朝起きられなくて苦労した。
中間試験の真っ最中で、休ませるわけにはいかず、息子には気の毒だが無理矢理学校に連れて行く状況になっている。
親子双方にとって結構なストレスである。
勉強もほとんどしていないというので、前日の勉強に付き合った。他に色々やりたいことはあるが、息子と一緒に物理や数学、生物の勉強をするのは結構興味深い。体調が戻れば、もっと良い勉強ができると思う。それにはもう少し時間がかかるだろう。
無事に試験を受け終わり、私と妻も一安心である。
ワインを一本開けることにした。
その前に、ジョギングに出かける。尼崎方面に行くつもりでいたが、5kmほど走って右太ももの裏側に痛みを感じ、少し体が温まって汗ばんできたところで歩くことにした。43号線沿いに歩いて、宮水井戸を眺めながら家に戻った。
ちょっと脚を労った方が良さそうである。
カリフォルニア産の赤。美味しいワインだった。
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先日買った新しいワインオープナーとワイングラスを使った。
次女は卒論に本格的に取り組みだした。そんなに簡単なものではないのは当然であるけれども、彼女が思っているほどに難しくは無い筈である。
長女も卒業制作が佳境である。残り10作品を仕上げねばならないそうだ。
三女はアルバイトを探している。