生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

緑色のセーターを編んだ

昨年、深緑色の毛糸を買ってアラン模様のセーターを編み上げた。
大変な苦労の末、出来上がったセーターは悪くなかったけれども、結局人前で着ることなく解かれることになった。何しろ大きすぎたのだ。たっぷりしているという言い方もできるだろう。お父さんのセーターを着ている子供のようだった。
ゲージをとったりメジャーを当てたり、大きさを合わせるための工夫はしていたはずなのに、どうしてそのようなことになったのかは慎重に検証する必要がある。
もう一つ、深緑の色選びも難しかった。アラン模様のような編み目の起伏で柄を表現する場合は、薄い色の方が模様が分かりやすい。つまり、編み易いことになる。深緑はなかなか編み難いという事は言えると思う。
ガーンシー柄のセーターを編むことにした。編み目を交差させる必要がなく、複数の色の毛糸を切り替える必要も無いので、今までのセーターよりも楽に編めるかもしれないと思ったが、なかなか大変な作業だった。編み図に従って表編みと裏編を組み合わせていくのだが、何度も間違えて編み直すことになった。そのためには解かなければならない。
つまり、思っていたよりも難しい。そこそこの集中力が必要なのだ。
前後の身頃を編み上げて、袖に取り掛かる。ゴム編みを足してパーツを組み合わせる。
おおよそ3週間余りで出来上がった。
実際には、もう少しかかっている。年末に、大きすぎるセーターを解き始めている。一旦編み始めて、後ろ身頃が編み上がった頃に、大きすぎると判断して再度解いて編み直すことにした。だから一月半は優に掛かっている。
試着して、妻に見せると、少し小さいのではないかという。自分でも、袖丈があと1、2センチ長くても良い気がする。少し残念に思いつつ、仕上げた。着てみると徐々に体にフィットしてきたようだ。いまはたいへん気に入っている。

片袖分かそれ以上毛糸が残った。ということは、去年編んで解いたセーターがいかに大きかったかの証であろう。

永遠のファシズムに関するメモ

ウンベルト・エーコ著(和田忠彦訳)岩波現代文庫
多分、昨年購入してすでに一度読み通している。
エーコはイタリア人の作家で、私の父とほぼ同じ世代、つまり多感な少年期に第二次世界大戦を経験し、ファシズムに染められ敗戦によるイタリア社会の転換を目撃した。
1995年4月にニューヨークのコロンビア大学で行われた講演を元にしている。

自由の意味するところ

1943年7月23日、ファシズム体制が倒れた日の新聞紙面を見て、エーコーは「自由」と「独裁体制」の意味に気付いた。
今ここにわたしたちがいるのは、ほかでもない、過去に起きたことを思い出し、「かれら」が2度と同じことを繰り返してはならないと、厳粛に宣告するためなのです。

ファシストとは

「かれら」とは、すなわち、解放戦争は誰からの解放だったのか
ムッソリーニには哲学はなく、あるのは修辞だけ。
ファシズムには、いかなる精髄もなく、単独の本質さえありません。
ファシズムという用語は、あらゆる場合に適用可能。
しかしながら、ファシズムの典型的特徴を列挙することは可能。

  1. 伝統崇拝
  2. モダニズムの拒絶
  3. 行動のために行動し、文化はいかがわしい批判的態度
  4. 批判を受け入れない。
  5. 余所者の排斥
  6. 欲求不満から発生する新しい多数派
  7. ナショナリズムと外国人排斥に繋がる陰謀論
  8. 他者のことを客観的に捉えることができない
  9. 生きることの意義を見出し得ない
  10. 弱者蔑視を伴う大衆エリート主義
  11. 死の崇拝と結びついた英雄崇拝
  12. 性的な画一性
  13. 質的ポピュリズムを構成する民衆
  14. 貧弱な語彙と平易な構文による新言語によって批判的な思考を制限する

まとめ
これ以上ないような無邪気な装いで原ファシズムがよみがえる可能性は今でもある。
私たちの義務は、その正体を暴き、毎日世界の至る所で新たな形をとって現れてくる原ファシズムを、一つひとつ指弾すること。

エーコーの見立て違いと思われる点

彼らとは誰のことなのか。第二次世界大戦以前にヨーロッパを支配したさまざまな全体主義政権を、いまだに想定しているのなら、歴史的諸条件が異なる状況下で同じ形態が蘇ることは困難であると、安心して断言できると彼は言う。
果たして、今(2024年)の世界は、エーコーがおよそ30年前に考えた通りであろうか。

ラグメンを作った一日

4ヶ月余りにわたるアジア大陸放浪の旅(最後にアフリカとスペイン、フランスに立ち寄った)から長女が帰国して、我が家は久しぶりに6人体制になった。
帰国した長女から、週末の料理に「ラグメン」をリクエストされた。トルコ滞在中に食べて美味しかったウイグル料理とのこと。
検索してみると、イメージとしては皿うどんである。ウイグル含む中央アジア一帯で食べられているようだ。ポイントとしては、ラム肉を使うこと。麺はうどんで代用できる。
レシピが見つかれば、あとは食材を手に入れて書いてある通りに作る。
ウイグル風ラグメン|日本冷凍めん協会
見つけたレシピに「何人分」なのか書いていないが、肉の分量から二人分と推定し、その三倍量を目安とすることにした。買い物のリストは、以下の通り。冷蔵庫にある食材は買い物のリストからは外す。

  • トマト(6個)
  • ラム肉(600g)
  • ピーマン(6個入り一袋)
  • 赤ピーマン(大1個)
  • セロリ(ひと束)
  • ジャガイモ(一袋)
  • パクチー(ひと束)
  • 玉ねぎ(1袋)
  • 冷凍うどん(6玉分)

ラグメンの他に、いくつか副菜を副菜を作ることにした。ラグメンの味がよく分からないので、何をつけ合わせるか悩むところであるが、前の週にスーパーで見かけた菜の花を使いたいと思った。
菜の花のピーナツマスタードマヨネーズ
ポテトと卵のサラダ マスタード風味
(サラダ好きのシェフが考えたサラダ好きのための131のサラダ(音羽和紀著 柴田書店)

  • 椎茸
  • ピーナツ
  • 菜の花

家にあると判断して買わなかったもの

  • ニンニク
  • 生姜のすりおろし(チューブ)
  • 赤唐辛子
  • クミンシード

日曜日の午前中に、近所のスーパーマーケットに買い物に出かけると長女がついて来た。今は就職活動のようなことをしているが、時間を割と自由に使える立場である。
スーパーの肉屋でラム肉が手に入ったのは幸運だった。無ければ少し遠くの店まで出掛けるつもりでいた。そのほか、一通りのものは手に入った。
帰宅して、早速調理に取り掛かった。まず、ラグメンから。食材を刻む。
ニンニクをみじん切りにする。生姜もみじん切りにしたいところだったが、無かったのでチューブのすりおろし生姜を使った。
赤唐辛子はタネを除いて輪切りにする。セロリもみじん切り。ジャガイモは皮を剥いて1cm角に。中くらいのトマト4個を一口サイズに切る。玉ねぎ三つをみじん切りより少し大きい位に刻む(1cm角くらい)。赤ピーマン、ピーマンも同じように切る。
フライパンにサラダ油を熱して、ニンニクとすりおろし生姜、赤唐辛子を入れて火を通す。香りが立ってきたらクミンシードを加える。ラム肉を入れて炒める。肉に火が通ったら、フライパンから出す。
玉ねぎ、にんじん、セロリを炒め、しんなりしてきたらトマトを入れ、さらに炒める。
鶏がらスープを足して、煮込む。じゃがいもを入れる。
煮詰まってきたら、ピーマンと赤ピーマンを入れる。

塩コショウで味を整える。タイミングを見計らってうどんを茹でて、和える。
皿によそい、好みでパクチーを散らす。そのようにすれば、ラグメンが出来上がる。
ラグメンを作りながら、サラダに取り掛かる。
菜の花を茹でる。冷水にとって、絞る。ピーナッツを茹でてフードプロセッサーにかける。マヨネーズとハチミツ、マスタードに牛乳を加えてよく混ぜる。
ジャガイモは蒸して皮を剥く。ゆで卵を半熟に茹でて、粗くつぶす。椎茸の傘を炒めて塩胡椒をする。
ここでアクシデントが起きた。ゆで卵とジャガイモと椎茸のサラダをピーナツマスタードのドレッシングで和えてしまった。
やむを得ず、ゆで卵とジャガイモと椎茸のサラダはピーナツマスタード和えで食べることにして、すでに茹で上がっている菜の花をどうするか、考えなくてはならない。ごまマヨネーズで和えることにした。

かなりガッカリしながら、へとへとになって作ったラグメンは、たいそう美味しく、家族の評判も良かった。

血圧の薬と飲酒

毎年受ける職場の検診で、血圧がやや高めと指摘されようになった。
それ以外には、特に異常なデータはない。
今までは。あまり気にしてこなかったが、先日来、血圧と体調不良に関係があることに気付き、受診が必要と感じた。
倦怠感や頭重感、頭痛のような体調の不調と血圧に関係があり、加えてそれが飲酒量とも明らかに関係しているような気がし始めたのだ。そのような時は、大抵の場合最低血圧が90mmHgを超えている。最高血圧は気になるほどには高くないつもりでいたが、調子が悪い時には高まっているようだ。
飲酒について、外で飲んで帰ることはほぼない。人付き合いの悪い私は、外ではほとんど飲まない。大抵妻と二人で家で飲んでいた。二人とも酒を飲むことはできるが、それほど強くはない。
パンデミックの4年間、様々なストレスがあって、その結果、飲酒の回数、量ともに増えた。
妻は、パートの仕事前日に飲まないが、いつの間にか妻が飲まない日には私は一人で飲むようになっていた。ほとんど毎日。よった気分になるまで飲む。ビール、日本酒、ワイン。どうやら私は蒸留酒を好まないようだ。
ビールなら350mL缶を2本。ワイン、日本酒は4合びんを三日で飲む。
妻はビールを好むので、ビール代は家の家計から支出されるが、ワインと日本酒は私が仕事帰りに買って帰る。自分の財布から支払う。そのような生活を続けていると、毎日酒を飲むのが当たり前になり、たまに飲まない日がせいぜい月に2度程度となった。
こういった嗜好品は、一度習慣付くと改めるのが困難だ。徐々にエスカレートしていく。
ある日、ひどく飲みすぎたわけでもなく、二日酔いに苦しめられたわけでもなかったが、朝から頭痛がして、吐き気を感じた。無理して出勤して、何とか1日を過ごし帰宅した。
受診することにした。近所の循環器内科を検索して通いやすそうなところに目星をつけ、仕事の帰りに立ち寄った。意外と空いていて、血圧の測定の後ですぐに診察室に呼ばれた。薬を飲むことになって、2週間分の処方箋を受け取った。
毎日朝晩に血圧を測って、朝食の後に薬を飲むことになったが、今の所うまく習慣になっている。加えて、飲酒の量も回数も減った。全く飲むのを止めようとしているわけではないが、自制できるのは良いことである。

(血圧は最高血圧と最低血圧の両方を問題にして、単位は水銀柱の高さ(mmHg)で表す。上腕に帯を巻いてポンプで空気を入れて圧をかけながら聴診器で音を聞くとある圧力で音が聞こえ出してさらに圧を加えると音が聞こえなくなる。聞こえ始める圧力を最低血圧、聞こえなくなる圧力を最高血圧という。実際に測るときは十分に圧力を加えて音が聞こえない状態から少しずつ圧を緩めて音が聞こえ始める最高血圧と、さらに圧を下げていって音が聞こえなくなる最低血圧を記録する)

2024年正月の実家

私は大学を卒業した後に家を出た。家を離れて40年近くになる。
年に3回程度、実家に帰省する。
高齢の父が一人暮らししている。近所に住む姉と少し遠くに住む妹がサポートしている。
正月が明けて、実家の様子を見に行くことにした。前日の夜に4か月の放浪の旅から戻った長女もついていきたいと言うので同行させた。
妹夫婦が空港に迎えに来てくれて、一緒に実家に向かった。
雪がたくさん積もったとのことで、車庫と物置きそして玄関の庇の雪下ろしを頼まれた。50センチ以上積もっていた。下の方は積もった雪の重みでかなり固まっていて重たかった。
先ずは物置きの屋根から。
頼まれるつもりでいたので、それなりの靴を履き、着替えも準備していた。軍手を借りてスコップを手に、梯子をかけて、雪を落としながら屋根に上る。楽な作業ではない。高所作業なので気を付けながら作業を進める。普段はやらない作業なので、筋肉痛になるのが心配である。さほど寒くはなく、雪は降っていてが穏やかな天気だった。明日、続きをやる気力、体力、筋力が残っているかどうか心許なかったので、その日のうちに終わらせたかった。とにかく続けた。
やり遂げて、家に入った。軍手を脱ぐが、指先が冷えて感覚が無い。上着を脱ぐと、多量の汗をかいてシャツがびっしょりと濡れていた。
義弟が除雪機で雪を跳ねてくれた。エンジン駆動の除雪機は操作が複雑で慣れが必要である。
姉も来て、夕食を一緒に食べた。
翌日はさほどの筋肉痛もなく、生垣に積もった雪を落とした。
妹夫婦はひと足先に帰り、父と娘、私が3人ですき焼き鍋を囲んだ。正月の余韻を残したテレビ番組をぼんやりと眺める。父はすでに新聞の購読をやめている。つけたテレビをダラダラと見続けることになりがちだ。

姉とも色々と話をした。長女が旅行中にスケッチした絵を見ながら、世間話をして、楽しいひと時だった。。

帰りは新千歳からの最終便に乗った。空港で少し時間があったので、売店で土産を選んだ。子供たちは、相変わらず北海道土産の菓子を楽しみにしている。
売店で目についたガラスのブローチを妻へのプレゼントにした。妻は普段着ででかけるときでもちょっとした装飾品を身に付けることが多く、昨年母の形見分けでもらったブローチは愛用している。