生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

豆文字ブルーズ

どおですか?
文字がおっきくって見やすいでしょう?
そうでしょう?
そりゃそうでしょう!
でもWinで見てる人は文字がギザギザでしょう?
私もギザギザです。

文字が大きくなると、ギザギザに見えてしまうのか。そうなのか。
それで、豆文字に拘る人がいるのかな。
あと、見出しなどどうしてもフォントサイズを大きくしたいときは、バナー画像を使ったりするのか。
そういうことなのかな。

フィルタリング

NHKの朝のニュース。忙しい時間帯に愚にも付かないニュースをやるのは、見る人の忙しさに配慮しているのだろう。
子どもに携帯電話を持たせる人が増えていることを前振りに、インターネットのフィルタリングの話をしていた。うちは子どもに携帯電話を持たせていないので関係ない。有害情報という点では、携帯サイトだけの問題ではない。インターネット全体に関わる。
携帯電話の各社がインタビューに答えていた。我が社の技術がいかに子どもたちの安全を守るかというような話だったかも知れない。フィルタリングの肝心なことは、もちろん教えてくれないけれども、おそらくいくつかのキーワードを引っかけてフィルタリングしているのだろう。あとは、実際にサイトを見て回り、有害かどうかの判定をするようだが、これは物理的に困難な取り組みだろう。
メールソフトにもスパムのフィルターが付いているけれど、差出人はちょっとした工夫でフィルタを回避する。例えば、V1aagrraとか、そういうやりかたで。
スパムに騙されないためには、リテラシーを身に付けるしかないだろう。リテラシーが身に付いていない子どもに、親が進んで携帯電話を持たせるリスクとベネフィットを秤に掛ける。そのベネフィットが子ども本位か、大人本位かは冷静に判断する必要があるだろう。
テキスト検索でキーワードを引っかけるフィルタリングに対抗するには、テキストの画像化が有効かも知れない。
そのうちに、画像を含むウエブページは一律にフィルタに引っかかったり、画像の表示に親の許可(パスワード)が必要になるような仕組みが当たり前になるかも知れない。

まとめというか、感想

先日来、テキストを画像化することで、oyaji3どのとやり取りがあったが、一見すると正反対のような二人の意見は、実はよく似ている。というか、ほぼ一致している。
唯一、違う点はoyaji3どのが、自分の記事は多くのヤフーブロガーに転載され、役に立っているから例外として扱って良いと考えているが、私は、例外をもうける必要はないと考えている点だ。(むしろ、役に立つ記事なら画像化によりユーザービリティを奪うのはもったいないと思う。)
私が読んだことのあるoyaji3どのの記事は、例の「善意の転載」のみである。沢山鏤められた画像テキストを苦労して読んだが、余り出来の良い記事とは思わなかった。おそらく、繰り返された画像差し替えによる修正のために、意味が通じにくくなっていたと思う。
最後のコメントで、oyaji3どのが自らおこなっているテキストの画像化に「良くない場合もあり、良い場合もある」と考えておられることを知り、意外に思った。一律に「良い行為」と言う認識ではないようだ。

おまけ

oyaji3

認識が間違っていますよ。「テキストの画像化」について「良くない場合もあり、良い場合もある」と考えているという意味は、「私が自ら行なっているテキストの画像化」のことを指して言ったわけではありませんよ。また、良い・悪いという判断は人によって完全には一致しないと思います。私のたった1つの記事のみしか読まずにこの問題について書いていたとは驚きました。(2007/04/05 17:18)

とのことです。つまり、oyaji3どののテキストの画像化は「良い場合」とoyaji3どのは考えているということのようです、そりゃそうだよね。悪いと思いつつやるなんて、変だと思いました。以上、訂正しておきます。
こんな簡単なことなのに、意図が逆に伝わってしまうのはどうしてなんでしょうね。不思議ですね。読解力かね。

ブックマーク

便利に使っている。今まではタグ付けのみおこなっていた。興味を持ち、ダイアリに取り上げる予定のものをブックマークしていた。
先日来、方針を転換し、タグ付けのうえ概要、もしくは意見をコメントとして付けることにした。100文字以内で済むものはブックマークのコメント欄で済ませる。
その中からいくつかを選んで、改めて記事としてダイアリの中で取り上げることになるだろう。

蛇足

以下の引用部分はoyaji3というidを持つ人がコメント欄に書き込んだものをそのまま引用したものです。私の発言ではありませんので、お間違いのなきよう。

oyaji3

こんな簡単なことなのに、なぜ意図が逆に伝わってしまうのという理由は色々と考えられると思います。
まず「たった1つの記事のみしか読んでいない事」が大きな原因でしょうね。
1つの事象で判断出来ることもありますが、それだけで判断出来ない事もあります。
判断材料が少なければ正確な判断は出来ません。
また、他者の一方的な言動などによる先入観のみで見ていれば判断を誤る場合もあると思います。
あなた自身がどういうつもりで相手のコメントを読んでいて、どう判断したがっているのか?という要素も関わってくるように思います。
まずは相手の言葉を信じよう、理解しようとする姿勢で読むことが重要だと思います。
質問の仕方によっても理解度は変わると思いますよ。たとえば「悪い行為だと思いつつ行なっているのですか?」と最初にご質問下されば「そうじゃないですよ」と返答していたと思いますので意図が逆に伝わってしまうことはありません。(2007/04/06 03:28)

以下は私自身による追記:
いろいろと理由が並べていただいたが、大抵の場合書く側に原因があるというのが私の見解である。
相手の言葉を理解しようとするが、信じるかどうかは内容による。なるべく先入観にとらわれず、読み取ろうと努力したが無理だった。頓珍漢な受け答えに終始したのは私の責任ばかりではないだろう。
というわけで、大いに反省。

当面コメント欄は凍結します。