生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

はてなって、この程度

はてなダイアリは比較的ストリクトなマークアップだ。検索エンジンフレンドリといえると思う。
それでもこの程度だ。
およそ1500日余り、ダイアリを付け続けていて膨大な量のテキストが格納されているはずだが、ここのところ更新をサボっていたら、一日のアクセスはせいぜい30くらい。RSSリーダー使って読んでいる人も居るんだろうけれども、まぁほとんど文献的な価値が認められていないということだ。
一方、このダイアリを下書きにして作られる私のウエブページ、「道具としてのパソコン」は私がパソコンを使った記録をダラダラと書いているだけなのだが放って置いても一日に2−300のアクセスがあるようだ。せいぜい週に一度くらいの更新にもかかわらず、更新版のページは毎日7−8名の閲覧者が定期的に見てくれているようだ。
私は自分のページのことをほとんど宣伝していない。来訪者のほとんどは検索エンジン経由だ。私のウエブページにはコメント欄もトラックバックの表示も、スターもブックマークの表示も何も無しだ。何しろ、ブログですらないのだから。
はてなダイアリと道具としてのパソコンの差は何処にあるのだろう。文献的な価値に本質的な違いはないと思う。おそらく、はてなダイアリははてなユーザーの中で盛り上がるように作られているのだろう。非常にもったいないと思う。

Tシャツがほしい

なかなかおしゃれじゃないか。
一緒に着たい相手もいる。私の娘だ。はてなTシャツ欲しい!
私の娘もはてなのユーザーなのだ。私が勧めた。しかし、ここからリンクしない。リンクしない理由はそういうことだ。私は自身の立場を公開しているが、娘はただのはてなユーザーとして活動している。
あぁ、そうか、あっちからリンクして貰えばいいのか。
まぁちょっと考えておこう。

悪態をつく

イライラしたときに、八つ当たりするような行動。人が見ていなければそういうことをやることがある。
例えば、前を走っている車がのろのろしている。どっちつかずの運転をしている。つうか、まっすぐ走っていない。妙なところで減速したり加速したり。これは明らかによそ見か、居眠りか。危なくってしょうがない。私は悪態をつく。あらん限りの罵倒の言葉をフロントグラス越しに浴びせかける。
そういうことがある。他人に聞かせるためではない。自分の気持ちを整理するためだ。
何かを見て、非常に下らない連想をしたとする。余りに下品な。口に出すのを憚るような。下品や憚ると言う感覚は人それぞれだ。私は多くのバラエティ番組を下らないと思うし、その中で当たり障りのないコメントを残すインテリ芸能人をバカにする。表向きだけ眺めて、大衆受けしそうなアジテーションを行う評論家を罵る。その様な行動がもたらすインパクトを考える。たいていの場合、それは何のインパクトも持たない。なぜなら、茶の間でテレビ画面に対して投げかけられるそれらの言葉を耳にするのは、私と私の妻くらいだからだ。
時に、私はこうして、キーボードを叩いて公表する。そうすると、インパクトはもう少し大きくなる。
私は自分の行動に伴うインパクトを推し量る。自分自身の行動のインパクトと他人のインパクトが自分に及ぼす影響、双方を推量する。
このような文書の公開を何年か続けて、そういう経験が、自分を他人が発するインパクトから守る術を身につけた。リンクアンカーのジャンプ先をある程度予測できるようになった。回避する方法も色々と身につけた。油断していると、他人の悪態が目に飛び込んでくるのがインターネットで、はてなのサービスなのだ。私は自分を他人のインパクトから孤立させる術を概ね身につけている。そういう術は時々リテラシーと表現されることがある。ネットの害から身を守る話と概ね原理は同じである。