生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

感情

昨日の判決に特異的な意見ではない。さまざまな判決理由を目にした一般論として。
被害者の感情を配慮した判決というのはあり得るのだろうか。
被害者は自らの感情を述べる場を与えられるべきなのだろうか。理解して欲しいと思うのだろうか。誰かが理解してくれると思うのだろうか。
私は被害者の感情を想像はするが、とても理解は出来ないと思う。
私は子を失ったことがない。私には子を失った友人が数名いる。私はその人達に配慮したいと思う。理解したいと思うが、掛けるべき言葉を未だに見つけられない。
私が子を失ったら、どうか私に話しかけないで欲しい。事実を知りたいというなら話して聞かせよう。然し、私の気持ちは誰にも云わないだろう。どうせ誰も理解できないだろうと思うから。
被害者感情を他の人々に理解させようとする試みは、大変な忍耐が要るに違いない。私は強くない。弱い。悲しみにうちひしがれてそのようなことが出来ると思えない。
裁判はどうか法律に基づいて、厳正に判断していただきたく。
それが精一杯だろう。
そういう気持ちになるかも知れないと、ぼんやりと考える。