晴れ。
息子を幼稚園のバス停に送った。犬も一緒に見送り。
善意の転載
ヤフーブログに私が書いたコメントがひとつ残っていた。例の「善意の転載」の記事を転載したときに、コメント欄に書き込んだもの。
これで自殺予告の子供を救ってあげられると思うのがどうしてなのか、わかんない。なんだか、為すすべなく右往左往する大人の舞台裏を見せているような感じで、かえって絶望させられるんじゃないか。 要するに、どうしようもないし、このていどのことはやるけれども、ま、そこまでね。というような、読んだ子どもが死にませんように、っていうかこんなもん誰も読まないね。つうか、ネットにかじりついている暇があったら、自分の子どもの面倒見ろ、という女房の声が聞こえてきそうだ。
元になった転載記事は既に削除しているので、コメントも削除する。記念に、こちらに転載した。(誤字を一部訂正した)
公開する
ブックマークを共有する。つまり、誰かのブックマークを「お気に入り」ブックマークに指定する。
その人が一日回った興味深いURLを辿ることが出来る。その点について、以前に書いた記事がある。
他人のブックマークを辿ることそのものが、かなり重要な個人情報と言えるかも知れない。非公開にするという話を目にした。気持ちは分かる。
しかし、私はWWWに置いているものは全公開としている。アクセス制限が不本意なので(誰にも誘われたこともないし)ミクシも使っていない。
カウンタは事情があって公開できない。それ以外は公開する。
好みや個性の問題
福井県の辺りに、資産家がいて年に一度くらいワイドショウに出る。長嶋茂雄のファンで、様々な長嶋氏ゆかりのものを収集している。また、お嬢さんが猫のキャラクタグッズを収集している。数ヶ月前に、そのおやこがワイドショウのような番組に取材を受けていて、猫のキャラクタをデザインしたギターを競り落としたというような話題だった。猫に小判と云う諺があるが、父の資産家もそのご令嬢もともにギターなど弾けないから、デッドストックである。
猫のキャラクタをかわいいと思うのは好みの問題である。そのようなものを好む人がいることは理解するが、私は猫のキャラクタをかわいいとは思わない。
ネズミのキャラクタも同じことだ。
好む人を批判しないが、私は「ばかばかしい」と感じる。
アバターが嫌いだ。同じような顔が、コメント欄に並んでいると気分が滅入る。私にとって、ヤフーブログの障壁のひとつである。
いじめの定義
言ったもん勝ちという状況になるかも。
友情をはぐくむのも難しい世の中になるかも。
パソコンや携帯電話で中傷やイヤなことをされることも、いじめになるんだそうな。嫌なことあったらいじめか。そもそも、子どもに携帯買い与える親はどうよ。
夫婦の分担
一つの例として、テキスト
既に、妻にとって彼は十分によい夫なのだ。だから、夫は妻に、妻は夫に選ばれたわけだ。
あるがままにやればよい。夫が辛いと思っているとき、妻も辛いと思っている。
妻を愛すこと。子どもは夫婦の付属物である。
あんまり良い台詞を思いつかないが。
白衣の件
清潔を守るための上着は、「予防着」と呼ばれることが多いのではないか。白衣とは別なもの。(外科手術で執刀医や助手が着ているようなもの。精密部品の製造工場で作業員が着ていたり)
白衣の目的はいろいろある。一種のシンボルとして、看護師の帽子と同じように、その人の立場を示すためだったり。
実は、防寒服だったり。
しかし、白衣の本来の目的は、汚れを目立たせることではないかと思う。化学薬品や、血液などの汚れが付着したときに、目立つように。
現に、病院などで白衣は汚れたものとして扱われるのが普通だ。臨床現場の作業着であるから感染性の様々なものが付着する危険性がある。そのままの格好で外に出るのは逆の意味で拙い。
食事の時は、脱ぐのが当然だ。
割烹着は良くわかんないな。