生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

「ウェブ日記」が「ブログ」になると、例外ナシに詰らなくなる

平成17年1月10日付け闇黒日記より
例外ナシかどうか、私はさほど多くの「ウエブ日記」を見て回るわけではないので、何とも云いにくいが、そういう傾向があると思う。ブログになって、面白くなったケースは思い当たらない。
「Blog」の類のサイト自動生成ツールを嫌ひなのは、それらが例外ナシに「制作者の論理」で作られてゐると言う指摘は、私も同意するところがある。
手軽さを実現すると言う意義は大いにあると思う。アンカーやらリンクやら、タダ見るだけの人に、全く関係のないものでも、邪魔にならなければよいのではないか。見てもらうためには、リンクを積極的に受け入れる必要があり、そのためにはアンカーやら、恒久的なURLの表示はいくらか役に立つ。閲覧の邪魔にならない限りは。クリックしてもジャンプしないアンカーがあっても、別に構わない。逆に、アンカーと知らずにクリックさせられる方が問題だろう。一般の閲覧者は、アンダーライン付きのテキストや、小さめの画像を見ると、それがアンカーであろうと無かろうと、片っ端からクリックするものらしい。
ブログツールの拙い点は、読む側より、むしろ、作る側が型に嵌ることだろう。
ブログツールで出来ることをやるようになる。どうやって、ブログの枠に当て嵌めるかを意識してしまう。
私がはてなを使う場合、入力欄の狭さと、それ以上に、テキスト作製の途中でセーブ出来ないことが問題だ。出来ないことはないのかもしれないが、推敲の道具としては、余りに不自由だと思う。
ブログは、たいていの場合「ブログ」っぽくなる。それは見た目のレイアウトのみならず、テキストの長さや、論理の深さや、リソースとしての価値やら。
最近のエントリやら、コメントやら、トラックバックやら、そういうものを重視したい人には宜しいのだろう。私はあまり興味がないので、他の人のブログを見ると、それらが邪魔に思える。細々した文字で、三段組みしているページを見ると、その内容が興味深いものであるほど、残念な気分になる。上記、「ドラグしながら読む」ことが困難なブログは少なくない。