生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

主観と客観、取材と会見

いつどこで誰が何をどうしたか。
という事実を報道する上で、その根拠は何なのか。
上記、

を読んで、朝日の記者は何か感じないものか?全文引用し、添削して差し上げたいと思うが、新聞記事にも著作権があるらしいので、そういうわけにもいかない。
最初のセンテンスのみ、引用する。

19日午前11時50分ごろ、大分県豊後大野市三重町向野の民家で「女性が刺された」と110番通報があった。豊後大野署員が駆けつけたところ、飲食店員田北理恵さん(22)が近くの親類宅で額や両腕から血を流して倒れているのが見つかった。

少なくとも、「女性が刺された」のカギ括弧は要らない。あるいは、カギ括弧を付ける場所を間違えている。「民家で女性が刺された」と、110番通報があった。通報したのは誰なのか?刺された女性本人か?もしそうなら、「女性が刺された」という通報は不自然だ。誰か他の誰かが通報したのなら、倒れている女性を署員が見つけたはずがない。 近くの親類宅と、民家の関係は?見つかった?見つけた?誰が見つけた?
署員が駆けつけたところ、(中略)倒れていた。ではないのか?
記事を書く取材のソースは、警察の会見と記者独自の取材だと思う。
警察の会見を聴いていて、それを理解できていない、あるいはいい加減にメモを取っているのか、と思わせるような書きぶり。
取材や会見をとおして、手に入れた多くの断片的な情報を記者が整理し、取捨選択し、客観的に理解しやすい文面としたものが記事となるはずだ。記者の混乱がそのまま読者に伝わるようなものは、記事とは言えないと思う。