生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

リンク禁止とかいうのも、やはり自由

長女(中一)は体調を崩し、学校を休むことが多い。療養中の日記を付けることを勧めたのだが、続かない。興味を持っていたので、ブログを持たせることにした。もちろん、療養日記ばかりでなく、その日の出来事などを書きしるしている。温かい目で見守るつもりだ。
さて、長女は私がウエブページを管理していることを知っていて、私の記事なども読んでいる。ブログそのものにはさほど興味はなかったようだが、自分の記事が多くの人に読まれるかもしれないことには興味津々だ。
アクセス解析などを今のところは付けていないけれども、たまにリンク先にアドレスが表示されていると大変喜ぶ。
私も、自分のページのアクセス解析を見て、閲覧者が多い方が嬉しい気持ちになる。せっかく作った記事が他の人に読まれて、世の中にいくらかの作用を及ぼしていると実感することが快感なのかもしれない。長女には、特定の読者を想定せず、自分の書きたいことを書きたいように書き続けていれば、誰かの目に留まる。慌てずに、自分の信じることを正直に書くようにアドバイスしたが、これは結構難しいものだ。
話題になっていることを書くと、意図せず多くの閲覧者が集まることがある。視聴率20%を超えるドラマのタイトルを書き込む、アイドルタレントの名前を書く、そういったことではてなの場合は多くのキーワードリンク経由の閲覧者が集まる。
だからといって、意図的に閲覧者を集めるような話題を書くことは、長女のブログの趣旨には大きく反すると思う。慌てずに、自分の書きたいことを書いていて、偶々出会った人があなたの書いたことに興味を持てば、その人は特上のお客さんになる。
そういったやり方を彼女に勧めた。
リンクは自由である。とも説いた。だからこそ、あなたのブログを読んでくれる人が居るのだと。誰かがあなたのブログを偶々見てしまう。偶々見てしまった人は、あらかじめあなたのブログに書いてあることを知っているわけではないから、大抵は、見てがっかりする。期待していたようなことが書いていないことに落胆する。場合によっては腹を立てる。
まぁ、そんなことばかりだ。コメント欄にはいつも励ましが書き込まれるとは限らない。罵倒されることもある。明らかな誤解を受けることもある。
しかし、それでもリンクは自由なのだ。
公的なサイトや営利団体のサイトなどで、しばしば見かけることがある。リンクは原則的に自由ですが、云々。公序良俗に反する云々、
書いたところでリンクされる訳だ。
自由なのにどうして例外をいろいろと書くのだろう。書いたところで何かあるわけ?覚醒剤を打ちながら閲覧するのは止めてくださいとか、くわえたばこは禁止しますとか、携帯電話の電源はお切りくださいとか、勝手に見ている人にとやかく言う注意書きは、実に滑稽だよ。
引用は適切な形でお願いしますとか書いたところで、その適切がわかんない人にどうやって指導する?
リンクは自由というのは、見るのは自由と、おおよそ同じようなことだよね・どうぞ勝手に見てください、私は勝手に書きますから。そういうことだ。つまり、表現の自由と背中合わせというわけだ。
だから、リンクは自由でありませんというのも自由だし、それに噛みつくのはおかしいね。リンクは自由でないと主張する人には、そのような考えはあなたにとって損ですよ、と助言するのは良いかもしれないが、そこまでだ。そんなことは私の自由でしょ、という考えを持った人に対して、私が出来ることは、例示することとコメントすることだけ。
あくまで、どのような考えを表明したところで、それはあなたの自由です。私は自信を持ってそう言うよ。私は自由に自分の意見を表明できる世の中がすばらしいと思う。今後もそうあってほしいと思うから、公序良俗に反ししょうが、犯罪者だろうが、被告人であろうが、どうぞ自由に私のサイトを見てください。リンクしてください、と申し上げるし、あなたがあなたのサイトに何を書こうと、私のウエブサイトのどのページをリンクしようが、引用しようが、それはあなたの自由です、と認めるわけだ。
Yokoさんも独自の主張を展開するのは自由。リンクは自由という人々はそれが分かっているはず。
何か書くと、敏感にレスポンスしてくれるところがYokoさんの立派なところで、結果的にいろいろな人を引きつけている。
表現の自由はお互いに大切にしようではないか。