生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

子を失うこと

私は経験がないことについて、断言しない。例えば、レイプされそうになったとき、抵抗して殺されるより、させてしまいなさい、というような話は理論的には理解できるが、実際に自分がレイプされたことがないので、本当のところは分からない。レイプされると色々なことを感じるのだろう。様々なケースがあり、一概には言えないだろう。レイプする人の気持ちも良くわからない。
先日、妻が流産して、子を失うときに親がどんな気持ちになるかは少しだけ分かった。
もちろん、私たちが失った子は、まだ胎児とも言えないような小さなかたまりで、出産に至ったわけではないし、姿を見てさえいない。だから、私が解ったのは、4人の子どもを無事に産み、育ててきた、すでに中年の親がたまたま身籠もった5人目の胎児を妊娠のごく初期に流産で失ってしまった時の気持ちである。
妻がすでに40歳を越えており、高齢出産の危険性について説明を受けた。染色体検査について妻が尋ねたところ、やるなら早めにするように言われた。染色体に異常を持つ可能性は50分の1程度という説明を受けた。
検査は何のためにやるのか。目的は胎児の染色体異常を検査して明らかにするためだ。検査の結果が出たら私たちの行動はそれに影響されるのだろうか。赤ちゃんの染色体は正常です。そういわれて、何かを保証されたような気持ちになるのだろうか。間違った方向に育っていく子どもたちの多くは染色体に異常はない。とんでもない事件を起こす人たちの多くは、正常な染色体を持つ。
それでは染色体に異常があったらどうなるか。わざわざ調べて、そして胎児に異常が発見されたらどうするのか。私たちはその様な異常をもった赤ん坊を必要としていません、と、宣言する意志をもつのか。親に必要ないと言われた子どもは生き残ることは出来ない。無惨な死を迎えるだろう。親が胎児の死を選ぶ。
私たちは話し合い、考えた挙げ句、検査を受けないことに決めた。私たちは自分たちの子どもを死なせることは出来ない。理由はどうあれ私たちは授かった子を育てなくてはならない。それが私たちの責任である。
色々な考え方があることを想像する。しかしながら、私は一つのことを予期していた。つまり、理由はどうあれ、自らの子を死なせる決意をし、行動に移した親は後悔するだろう。いかなる理由があれ、親は(あるいはこれから親になる人たちは)赤ん坊を死なせたことを後悔して過ごすだろう。いかなる理由というのは、それがたとえ全く望まない妊娠、仮に暴力的に望まない妊娠をさせられたとしても。
いかなるケースでも、私は赤ん坊を授かった愛する人に対し、おめでとうの声を掛けて上げるつもりだ。おめでとう。辛かったでしょうがよく頑張ったね。断固としてそう声を掛けるつもりで居る。