生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

小学五年生が校舎から飛び降り

愛知県豊明市の小学校の敷地内で小学五年男児が校舎二階から飛び降り、意識不明の重体。

  • 午後5時40分頃、男性教諭が倒れている男子児童を発見した。
  • 遺書のような「紙片」があった。
  • 警察は事故と自殺(未遂)の両面から捜査している。

事実と思われる部分のみ。

先入観フィルター

adankadanさんが、新たな取り組みを始めた。

お題にコメント欄で答えて貰う。管理人は圓楽の役で、コメント欄から新たな事実が見つかれば、記事の中に箇条書きで書き加えていく。既出の意見をくどくどと書くコメントは削除。
図らずも、当ダイアリのコメント欄に関する方針にちょっと似ている。

コメントは、私が読んだのちに削除させていただくことにしている。必要がある場合は、本編の中に引用して、記事として活用させていただく。

http://d.hatena.ne.jp/namnchichi/20050206#p3

誤解を与える書き方がoyaji氏の特徴である。意図的ではないと思うが、巧妙に誤解を与えるような文言を仕込む。

著作権侵害については、許すとか許さないという問題よりも

というところで、驚く。著作権はどうでも良いという姿勢か、と思うとそうではない。

著作権侵害とならないように注意して

ちゃんとルールを守ってブログやHPなどを

運営する姿勢が大事なことなのだと思います。

ルールを守る姿勢を強調する。ちゃんととか姿勢が大事という、抽象的でどのようにでも取れる言葉を結論に使う。

ネットというものを利用するにあたって

「リンクされたくない」と考えること自体が

間違いだということを教えてあげれば済む話だと思います。

リンクは自由なのか?

リンクは自由なんだけど、リンクの仕方とか

リンクする動機が問題なのだと思います。

つうか、間違いだと云うことを教えるのがとてもむつかしい。それを教えようとして、永遠のループに入るわけだから。リンクの仕方はともかく、リンクする動機の方は、人の気持ちであるから、問題といわれたところで踏み込めない部分だ。つまり、問題にすること自体に意味がない。
誤解が論議を混乱させ、結局ループになる。
数回経験すると、もう彼の発言を素直に受け取ることが出来なくなる。
つまり、論議が成り立たなくなる。
adankadanさんの取り組みは、今のところ結構うまくいっているのではないか。ご本人はしんどがって居るようだが。(そりゃそうだろう)

コメントに答える

200-03-17-22:33に、OYAJIという人から下記のコメントがあった。

その「人の気持ち」が問題なのですよ。
踏み込める・踏み込めないじゃなく、
行為を起こした本人が正直に動機を言えば済むだけの話であり
不純な動機にしか受け取れない行為をしているという事です。
ルールを守ることは悪いことでしょうか?

おそらくヤフーブログのuragoe_2ch氏と思われるので、そのつもりでお返事させていただきます。
人の気持ちを重視なさっていることは、存じております。しかし、そこには踏み込めないという点は、おっしゃるとおりです。
行為を起こした本人が正直に動機を言えば以下の2行は、私の記事のどの部分に対するコメントか分かりません。また、最後のルールを守る云々に、なぜ私の判断を求めるのか分かりません。

コメントにさらに答える

追記(コメントに答える)に対して、さらにコメントがあった。
どうやら、先日のコメントはuragoe_2ch、はてなではoyaji3のidをもつOYAJI氏のもので間違いないようだ。

行為を起こした本人が正直に動機を言えば済むだけの話であり

不純な動機にしか受け取れない行為をしているという事です。

という部分は、私が記事の中で言及し、リンクしたAdankadan氏のエントリの中で言及されている一方の当事者=今回の行為を最初に起こした人物に関する記述とのこと。これはおそらく、児島氏のことを云っているのだろう。

ルールを守ることは悪いことでしょうか?

に関しては、私に判断を求めているのではなく、ちゃんととか姿勢が大事ということを書いてはいけないと思っているのかな?と思ったので聞いてみた、とのこと。なら、最初からそのように書いて下されば良いと思う。
抽象的でどのようにでも取れる言葉を結論に使うと、誤解を生ずる元になる、と指摘したつもりだ。
書きたいことを自由にお書きになったらいいです。但し、それは自分が管理する自分のブログの中での話だ。
他の人のコメント欄に書くときは、本文を良く読んで十分に理解した上で、補足的な説明を求めるなり、自分の意見を書くなりしたらよい。
私はAdankadan氏の取り組みが、混乱しループする議論を整理する上で有効と感じたので、その旨を書いた。また、ブログ等でコメント欄を管理者のコントロール下に置くことの有効性を指摘したつもりだ。
OYAJI氏がここで児島氏に言及しても、私は論議にコメント欄を提供する気はない。
(コメントは、私の流儀に従い、そのうちに削除します)