生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

疲れ気味

ネタが切れたとか、そういうわけでなく。その気にならないというか、時間がないというか。
なんだか気ぜわしい、と云うより、実際忙しい。
アンテナを伸ばす、余裕がない。じっくり考える暇がない。意見がまとまらないと、こういうことは書けないですから。
有名な教授が捕まり、何かの余り役に立たない政治報道番組で、時々意見を言う人と思う。見たことあるひとだ。
出来心かもしれないが、余罪はたっぷりあるだろう。このハイテクの時代に、手鏡と云うツールを使いこなす彼は、ただ者でない。
彼は何を見ていたのか、何を見ようとしていたのか。

彼が見たものは、鏡である。鏡に反射する光線が目に入っただろうが、彼の目にしたものはあくまで鏡面である。
その鏡面に映っていたものは、布地である。ある目的を満たすために形を整えられた布地である。そのようなものに、何故彼は執着したのか。
デパートで、エスカレーターに乗り、3階にでおりようとしたとき、目の前が女性向け下着売り場だったりすると、少々困惑することがある。しかし、どれほどきわどい、特殊なものがぶら下げてあったにせよ、それを見て興奮することはない。目のやり場に困る状況になるかもしれないが、経験上、こういうところを通り過ぎるときは、平然とやり過ごした方がよいことを知っている。
図らずも、何かの弾みにスカートの内側が見えてしまうことがある。風が吹いたり、何かに引っかかったり、しゃがみ込んだり、そういうときに、目に入ってしまうことがある。
どきっとする。場合によっては、幸せな気分になるかもしれない。逆に、大変気分を害することもあるだろう。下着売り場ではこのような気分になることはない。
見えるものは同じであるにも関わらず、どうしてこのような感情の変化が現れるのか。
某教授が、手鏡を持っていなかったらどうだろう?手のひらを、スカートの下にかざす。あるいは、スカートの主が、手鏡を持っていたら?
おそらく、教授にとって重要なことは、そうと気付かぬ人の背後に近寄り、手をかざすことなのだ。ミニスカートの下、背後は彼女たちにとって、急所であるように教授には思えたのだろう。急所に色気を感じるのは珍しいことではない。教授は少々想像力が豊かに過ぎた。
急所は本来隠されるべきで、それが晒されたときに起こることは、プライバシーの侵害である。ある種の変態的趣味を持っている人には、適度にプライバシーを侵害することが、快感と感じられるらしい。
対象が高等学校の生徒であったことに関しては、良くわからない。そこが彼の変態性なのかもしれない。
こういうことを分かったように書いている、私も変態なのかもしれない。