事件に対して、どうして周囲が気がつかないのか、というのが不思議なところ。関心をもったのはその点。
妻は有り得るという。目立たない人はいる。現に、事件を起こした女子高生は誰にも気付かれなかったようだ。もしかして、妊娠ですか?と面と向かって尋ねるのは相当な度胸が要るだろう。
未成年以外のケースでも、今年になって何件か、嬰児の遺体が発見されている。
- http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070531k0000e040085000c.html
- http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070511i413.htm
- http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/national/update/0507/OSK200705070074.html
- http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070422k0000m040049000c.html
- http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070419k0000e040048000c.html
発見されて、記事になって、私が気付いてブックマークした事件がこれだけある。実際に殺害された数は想像がつかない。
妊娠したら、そのうちに出産して赤ん坊が産まれる。その赤ん坊は生きている。
更にさかのぼって、性交渉は妊娠に繋がる。
そういった、性教育を行う必要があると思う。
それから、未成年・未婚者の妊娠、出産、育児を見守るような環境とか。
殺意があったわけではないと思う。無知と無理解がもたらした悲劇ではないか。
一体、どれほどの数の赤ん坊が命を落としているのか。
その数に匹敵する女性達が、赤ん坊を失ったことを後悔する。罪の意識にさいなまれることだろう。
「こうのとりのゆりかご」は、それらの事例の限られたごく一部を救うに過ぎない。問題にすべきは、無知であり、行為の結果としてもたらされる自責の念に対する想像力の欠如である。
子を育てることの喜びを肯定的に教える必要があるだろう。