生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

やや調子が良い

8月末にマラソン大会にエントリーしている。
残念ながら、あまり練習できていない。
体調の不安や、家族のゴタゴタ、仕事、そのほか。走らない理由はいくらでも出てくる。
先日の大腸内視鏡検査でポリープの摘出を受けて以来、そちらの調子が良くなって、ジョギングしやすくなった。
名医の診断と治療のおかげである。

検査を受けた

体調について書く。適当にぼかしながら書くと、後で読んだ時に何が何だかわからなくなるので、なるべくはっきり書く。
腸の調子が良くないと感じていた。
自己診断では、直腸脱。肛門の括約筋が緩み加減で、腸の粘膜が外にはみ出す。
排便後の違和感があり、ジョギング後にもそのような状況になるようだ。
違和感、下着の汚れ。汚れは、かなりの量の粘液が出て下着につくようだ。
便通後にティッシュに血がつく。血便というよりも雑に拭いて粘膜に傷がついて出血していると判断したが、それにしても大変出血しやすく、たまに出血量が多くなることがある。
肛門から近い直腸に大変出血しやすい何かがあるようにも感じる。内痔核かもしれないが、あまり痛みなどはない。
近所の消化器内科を受診した。
初めての経験を色々した。
直腸指診(肛門から指を入れて、指が届く範囲にあるものに触れて調べる)で、あまりひどくはないが痔核があることを指摘された。また、診察を受けたときは直腸脱の状況になっておらず、また年のわりに括約筋もしっかりしているとのこと。
内視鏡検査を受けることになった。
検査予約の三日前に再診し、検査の説明を受け、腸管の洗浄剤と下剤を受け取った。
検査前日に下剤を服用し、当日朝から絶食し、洗浄剤2リッターを2時間かけて飲むとのこと。
経験のある人はわかるだろう。私は経験がなかったので、嫌だなぁと思いながら、3時間近くかけてなんとか飲みきった。もう飲みたくない。
当日は猛暑日で、腹ペコフラフラで病院まで15分ほど歩いた。
点滴され、鎮静剤で眠っている間に検査は終わり、横行結腸の始まりのあたり、下行結腸、直腸の肛門にごく近い場所、三つのポリープを摘出したとのこと。出血の恐れがあるので、三日分の内服と1週間の禁酒を勧められた。
痛み等はないが、排便時に下血し、便器が真っ赤になったのにちょっと驚いた。おそらく、切除したところに取り付けたクリップが外れて出血したようだ。明日で1週間が経つが、下血はほぼ治まっている。
私は男性なので、股間付近から出血するのに慣れていない。予期しない出血で、下着を通り越してズボンや椅子まで血に染まるとどうしたら良いかわからない。ジョギング中に太ももが血まみれというのも嫌な話で、ここのところ、全てお尻と相談して大人しくしていた。
一段落ついて、あとは病理組織検査の結果を聞くことになるだろう。主治医はあまり心配していなかったので、特に何もないと思う。

職場の健診結果

血液検査では、特に異常値はなかった。血圧、聴覚、視覚も問題なし。レントゲンで、陳旧性病変。血液検査結果も何もなし。

イヤホン

Jabraの新しいイヤホン(Elite 7 Active)を手に入れて半年余り使ったので、感想を書いておく。
イヤホンに求めることは、汗に濡れても壊れないこと。その前に使っていたJabra65は二度の洗濯にも耐え、二年ほどでバッテリが弱るまで故障しなかった。それで、Jabraを引き続き選んだ。
バッテリの持ちは十分。音質はPodcastを聴くには十分。耳に収まるサイズは好ましい。
このイヤホンの良いところは、左右単独で使えることである。
片側を無くしても使える。バッテリの持ちが倍になる。単純に倍にはならないと思うが、右のバッテリが切れたら左を使う。
そもそも、アクティブノイズキャンセリングのような仕組みを使う場合、外では周囲の音が聞こえ難く、危険なことがある。
部屋でじっくりと音楽を聴くようなケースを除いて、外でイヤホンを使うときは片側のみ装着している。
片側だけだといくつかの機能が制限される。イヤホンのボタン操作で音量の調節や早送りなどができなくなるが、安全には変え難い。
それなら最初から片耳だけのイヤホンを買えば良い気もする。
取り敢えず、支障なく使っている。

臆病な犬

妻とプロ野球の試合を見に行く約束をした。
年に一度か二度、地元チームの試合を球場に出かけて観戦する。感染症流行の影響で、2年ほど自重していた。今回は、神戸運動公園のナイトゲームの指定席を予約した。
妻と17時に三宮駅で落ちあうことにした。彼女は、パートの仕事を終えて犬を散歩させてから家を出るので忙しい。私はいつもより少し早めに仕事を切り上げるつもりでいた。
SNSで、野球観戦をキャンセルするという連絡が入った。
散歩中に犬に噛まれたとのこと。
妻は犬の扱いには慣れており、犬も妻を最も信頼している。何が起きたのかよく分からないが、かなりの重傷を負ったことが読み取れたので、病院に行くことを指示して、私もすぐに帰宅することにした。
息子がバイトに出る前に、妻を近所の救急病院の外来に連れて行くというので、最寄駅から直接病院に向かって落ちあうことにした。
私が病院に着いた時に、ちょうど妻と息子が駐車場から出てきた。
息子はそのままバイト先へ向かい、私が妻と二人で夜診を受診し、傷の処置をしてもらった。両手、顔に傷がある。特に左手の甲は何箇所も深い傷になっている。当分通院することになり、抗生物質を処方された。
待っている間に話を聞いて、事情を理解しようと努めた。
妻は、散歩中の犬に水を飲ませようとして、途中にある公園の水飲み場寄るためににリードを引いた時に、犬がハーネスから抜けたとのこと。
視力の弱い犬で、大変臆病である。意図せぬ出来事が起きると吠えて噛みつこうとする。
逃げて走ったり、周りの人に危害を加えることを恐れて、妻は犬を押さえつけて、ハーネスを付け直そうとして噛まれたということである。普段でも、ハーネスを付けるときは、エサを与えて機嫌をとりながらやっている。それが、緊急事態で妻も慌てているし、犬も状況を理解できずにパニックになっている。何度も噛まれたが、必死になって押さえつけてなんとかハーネスを付け直したということのようだ。
妻は痛みに顔を顰めている。
当分、家事のいくつかは家族で肩代わりしなければならないだろう。
ところで、犬は以前にも一度、ハーネスから抜けたことがある。
ハーネスは、JK-9という、犬を飼っている人たちの間では割と有名なもの。
犬は体重が11.5kgほどの柴犬で、視力が弱い。

アイコンタクトで躾けられないので、扱いが難しい。周りの音や雰囲気に驚いて、吠えたり噛み付いたりする。
ハーネスをつけたり外したりするのは、落ち着きのない犬の飼い主にとって結構な負担である。JK-9の首の部分はベロクロであらかじめ調節してあって被せるだけ。胴回りにベルトを回して左脇の下あたりでバックルを留める。もたもたして、犬に不安感を与えると、バックルを止める時にガブリと噛まれる。
以前にハーネスから抜けた時は、散歩に出ようとして私がマスクを着けるのを忘れているのに気づき、玄関前の柱にリードを括り付けて家の中にマスクを取りに戻った30秒程度の間に犬がハーネスから抜けて、リードとハーネスだけが玄関先に転がっているという事態になった。慌てて探しに行って、200mほど先で取り押さえて、抱き抱えて家に戻った。
今回は無理に引き寄せようと焦ったら、犬が前足で踏ん張って、首を下げたらスッポリと抜けたということのようだ。
改めて、JK-9の使用方法について調べてみると、pdfのマニュアルを見つけた。
一番最初に、大きく「注意!愛犬を繋いだまま放置しないでください。」とある。当たり前だが、絶対にやってはいけないことなのだと、改めて肝に銘じた。
サイズを測って正しく調節するように書いてある。
「ハーネスから後に抜けてしまう場合にはどうしたら良いか」に対する答えは、「リードを無理に引くな」ということ。
万能のハーネスなど無い訳で、使う飼い主が正しい使い方を理解している必要があるということである。

戦争

私がまだ子供だった頃、ようやく1970年代に入ろうとしていて、大阪では万国博覧会があった。
多くの人々が石ころを見るために長い行列を作っていた。札幌では冬のオリンピックが開催された。
万博の石ころは、ある意味東西冷戦の産物である。両陣営がロケット技術を競い合い、それがミサイルの技術を反映していた。
一方で、平和の祭典とは名ばかりのオリンピックは間違いなく国威掲揚の場となっていた。
ベトナム戦争とか、北爆という言葉があり、今ではあまりニュースには出てこないラオスやカンボジアが戦場になって私の耳に届いた。
ミュンヘンのオリンピックの選手村で起きた悲劇もこの頃だし、テロという言葉が私には馴染みがなかった時代に、ハイジャックや過激派の学生運動が話題になっていた。
なんにせよ、子供にはイデオロギーのせめぎ合いがよくわからなかった。子供は学ぼうとしないので、物の見方が感情に左右される。判官贔屓とか、人の命を奪うのは良くないとか。(もちろん良くないが、戦争というのはそのようなものである)
物心がついたときに、日本を破滅の寸前に追い込んだ戦争が終わって25年くらい。
私の親の世代は、軍国主義教育を受けて、戦後の飢えを経験し、教科書を黒く塗りつぶした世代である。
私が大学生の時に、サラエボでオリンピックが開催され、その後内戦が勃発した。
一人暮らしを始めた頃に、天安門事件があり、湾岸戦争が中東から生中継された。
少し遡るが、ロサンジェルスのオリンピックは、その4年前のモスクワ大会のボイコットの影響を受けた。アフガニスタン侵攻に抗議してということである。私は大学生だった。
ソビエト連邦の崩壊を目の当たりにした。情報公開が世の中を変えることを実感した。
思い起こせば、私が今の立場に身を置くのに、カンボジアの内戦の影響を受けている。私はそのニュースを見て、志望校を変えた。
私は、戦争を眺めながらこの歳になった。
情報公開が世の中を変える。
大量の情報が行き交う中で、情報を選ぶ手段が求められる。情報公開を無効化する偽情報に埋もれた真実を掘り起こさなくてはならない。見つけ出した真実は、特にドラマティックでもなく、脚色もされていない。事実を理解し、その意味するところを判断しなければならない。