生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

戦争

私がまだ子供だった頃、ようやく1970年代に入ろうとしていて、大阪では万国博覧会があった。
多くの人々が石ころを見るために長い行列を作っていた。札幌では冬のオリンピックが開催された。
万博の石ころは、ある意味東西冷戦の産物である。両陣営がロケット技術を競い合い、それがミサイルの技術を反映していた。
一方で、平和の祭典とは名ばかりのオリンピックは間違いなく国威掲揚の場となっていた。
ベトナム戦争とか、北爆という言葉があり、今ではあまりニュースには出てこないラオスやカンボジアが戦場になって私の耳に届いた。
ミュンヘンのオリンピックの選手村で起きた悲劇もこの頃だし、テロという言葉が私には馴染みがなかった時代に、ハイジャックや過激派の学生運動が話題になっていた。
なんにせよ、子供にはイデオロギーのせめぎ合いがよくわからなかった。子供は学ぼうとしないので、物の見方が感情に左右される。判官贔屓とか、人の命を奪うのは良くないとか。(もちろん良くないが、戦争というのはそのようなものである)
物心がついたときに、日本を破滅の寸前に追い込んだ戦争が終わって25年くらい。
私の親の世代は、軍国主義教育を受けて、戦後の飢えを経験し、教科書を黒く塗りつぶした世代である。
私が大学生の時に、サラエボでオリンピックが開催され、その後内戦が勃発した。
一人暮らしを始めた頃に、天安門事件があり、湾岸戦争が中東から生中継された。
少し遡るが、ロサンジェルスのオリンピックは、その4年前のモスクワ大会のボイコットの影響を受けた。アフガニスタン侵攻に抗議してということである。私は大学生だった。
ソビエト連邦の崩壊を目の当たりにした。情報公開が世の中を変えることを実感した。
思い起こせば、私が今の立場に身を置くのに、カンボジアの内戦の影響を受けている。私はそのニュースを見て、志望校を変えた。
私は、戦争を眺めながらこの歳になった。
情報公開が世の中を変える。
大量の情報が行き交う中で、情報を選ぶ手段が求められる。情報公開を無効化する偽情報に埋もれた真実を掘り起こさなくてはならない。見つけ出した真実は、特にドラマティックでもなく、脚色もされていない。事実を理解し、その意味するところを判断しなければならない。