生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

iPhone 2.2 ソフトウエア・アップデート

このアップデートには、以下の不具合の修正と改良点が含まれています:

  • 絵文字機能をサポート
  • マップ機能を強化
    • Google ストリートビュー
    • 公共交通機関および徒歩による経路情報
    • ドロップされたピンの住所を表示
    • メールによる位置情報の共有
  • メール機能を強化
    • スケジュールによるメールのフェッチに関する原因が特定された問題を修正
    • 横幅の長いHTMLメールのフォーマットが向上
  • Safariの安定性およびパフォーマンスが向上

PodcastiTunes アプリケーション(Wi-Fi および携帯電話ネットワーク経由)でのダウンロードが可能

  • 通話着信時のエラーおよび回線切断の発生頻度が減少
  • Visual Voicemailメッセージの音質が向上
  • いずれかのホーム画面表示時にホームボタンを押すと、最初のホーム画面に移動
  • キーボード設定の自動修正機能のオン/オフ設定

このソフトウエア/アップデートと互換性のある製品:

機能の説明と詳しい手順については、次のWebサイトでお使いのiPhoneのユーザーガイドを参照してください:

iPhoneについて詳しくは、次のWebサイトを参照してください:

お使いのiPhoneの問題を解決する、または追加のサポート情報を確認するには、次のWebサイトを参照してください:

このアップデートのセキュリティに関する内容について詳しくは、次のWebサイトにアクセスしてください:

チアミンピロリン酸

ビタミンについて書いたら、野ざきさんが言及してくださった。ちょっと鴎外の話は私には分からない。但し、今で言うビタミン欠乏症は戦場や船上で単調な食事になりがちな兵士達の健康を維持する(つまりは戦闘状態を維持する)上で、軍事医学的に重要な案件で、軍医の果たした役割は大きいようだ。
相次いでビタミンが同定されていった時期も、ちょうど第一次大戦の前後だ。
今回、話題になったビタミンB1だが、幾つかの重要な糖代謝酵素の補酵素となっている。臨床的には欠乏症は脚気と呼ばれ、末梢神経炎と心不全を起こす。心不全が致死的だ。
ウイキペディアの記述を引用して、偽科学的な部分を指摘せよという話は、私はウイキペディアの脚気の項目そのものが科学的でない(少なくとも、生命科学ではない)と感じていたので、科学的でない記述の偽科学的な部分を指摘するのは困難だと思った。
私はウイキペディアの編集をしたことがない。
私が興味をもつ分野に、しばしば純粋に学問的な誠実さをもってボランティア活動をしているとは考えにくいページを見かける。知らないなら書かなければよいのにと思う。
脚気のページに関して、「概要」は脚気の概要ではなく、脚気に関する歴史の概要だ。『歴史』の項目は脚気の歴史ではなく、旧日本軍(あるいは日清・日露戦争)と脚気の関わりだ。
多くの人が、情報を得るための最初の手段にグーグル検索を用いる。「ググったら出てくるもの」がとりあえずの情報源である。私も先ずはキーボードに検索語を打ち込む。図書館に足を伸ばすことは減ったし、手を伸ばせば届く書棚の本を取る機会さえ少なくなった。そして、グーグル検索の最上位には多くの場合にウイキペディアがある。
専門分野の記述なら、これは役に立たないと判断できる。しかし、これからその分野を学ぼうと考えている人にとって、ウイキペディアの提供する情報はどうだろう。そして、知識の集積としてのインターネット検索は様々な誤った(しかし検索的に目立つ)情報に毒されていく。
修正を加えることが必要だと思う。学習環境はいまや危機的な状況だ。

ブックマークを見ないことにする

これは簡単だと思う。ブックマークへのリンクをクリックしなければよい。
自らもブックマークを使わず、その様なサービスがこの世には無いと思いつつ生活する。はてなブックマークはそういうことが可能な仕様だとつい先日書いたら何人かがブックマークしていた
誰かのブログを読まないこと。これも簡単だ。リンクをクリックしなければよい。私は意地でも訪問しないと決めているブログが幾つかある。
それでは、ブックマークを使う。他のブックマーカーが自分の興味をもったページにどのようなコメントを付けるかは見るが、自分の記事に対するブックマークだけを見ないというのはどうだろう。見ても言及しない。見なかったことにする。ではなく、『見ない」と宣言する。その様なことが可能なのだろうか。
自分の記事が誰も興味を持たれず、一つのブックマークも付かなければ、可能だ。
しかし、誰かが私の記事をブックマークするかも知れない。
自分の記事に対するコメントだけ見ず、他の記事に付くコメントは見るということ自体どうだろう。
無理じゃないのか。私はブックマークを使い、さらにお気に入りのページを重視している。13名の頼りになるブックマーカーが私に興味深いページを紹介してくれる。たまに、私のページをブックマークする人がいる。

リンクの自由

閲覧とリンクは自由だ。公序良俗も糞もない。
りっぱな新聞社が時に間違えることを知っている。
りっぱなお役所のお役人がときに魔が差して悪事に手を染めることを知っている。
犯罪者だろうが,いじめっ子だろうが、私の公開する何かを見る。止めさせることなど出来ない。書くだけ無駄。ただの揉め事の種。

暴力性

メタブックマークのページをリンクしたが、300余りのブックマークを集めて、そのほとんどがネガティブだ。
しかし、当該ブログのコメント欄もかなり大変なことになっている。
ソーシャルブックマークの暴力性など、たいしたことはない。直接ブログのコメント欄にぐりぐりと書かれる苦痛に比べたら全くたいしたことはない。(と想像する)
たとえ承認制としたところで、ずんずん溜まっていくコメントに、対処しきれなくなるのは明白。当人が誠実であるほどに、苦痛は増すであろう。もう面倒くさいから全部まとめて不承認削除。しかし、それでは何のためのコメント欄か分からない。
そういう状況を見比べて、暴力的などと言われがちなソシャルブックマークコメントの方が余程マイルドで、ブログ主にとって優しい仕組みであると感じる。