生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

報道

http://dac.lolipop.jp/blog/archives/000311.html
執着・粘着・非科学的など、今までと同じ。
私にとって幸運だったことは、直接知った人が犠牲者に含まれていなかったことだ。
お気の毒、とか、ご愁傷様、といわれる人は、私に構わないで下さい、という権利があると思う。それは、相手がジャーナリストであっても同じことだ。そして、心から喪失感を味わっている人々にカメラを向けることは実に残酷なことだと思う。
http://d.hatena.ne.jp/namnchichi/20050428/p5
http://d.hatena.ne.jp/namnchichi/20050428/p6
このところ忙しく、テレビのニュースを通してみている暇がほとんど無かった。故に、私は報道の過熱ぶりをよく知らない。テレビは性格上、放映する側が組んだプログラムを、順に見せられる。興味がないところを飛ばしたり、途中から見たり、ということが出来ない。
このような、報道は、今に始まったことではない。今回は犠牲者の数が多い。そして、多くの人に身近な通勤電車の事故だったために、とくに関心が高く、報道に多くの時間が費やされる。事故から時間が経ち、一段落すると、今度はより刺激の強いネタが取り扱われるようになる。その方が視聴率が取れるなら、テレビ局はそうする。視聴者の質と、見ないという選択肢の行使。
JRがいつしか私鉄の経営を圧迫し始めた。広域ネットワークによる接続の良さがアドバンテージと思っていたら、それだけではなかったらしい。安全性とより質の高いサービスのバランスを取っていたようだ。乗客の立場で、電車は安全と信じているから乗っていた。JRの体質(乗客の安全に対する発想)に関する報道に私は興味がある。事故の背景を明らかにする上で重要と思う。その日、若しくはその日に至るまで、何が行われていたのか、第三者の立場から明らかにしていただきたいと思っている。残念なのは、そういった報道が後手に回ったことである。乗客の立場からは、電車の安全性について判断する材料を持ち得なかった。「私鉄の運転手はきちんとしている」程度のごく主観的な印象に留まってた。
車体の強度について、衝撃を車体に吸収させるというレベルの壊れ方ではない。事故を前提に設計しているわけではないだろう。何にせよ、生存可能な空間を確保する強度が必要なのだ。この事故を貴重な教訓として、近い将来に見直されていくのではないか。
マスコミの取材や報道の姿勢に問題を感ずることは多々あるが、それは今回に限ったことではない。私は、とくに今回の事件に関して、徹底的な調査、検証、報道を望む。それが、現状のジャーナリズムに可能であるかどうか、わかんないけど。