バーレーンで開催されているF1レースを見ている。
オープニングラップでクラッシュがあって、赤旗が掲示された。
大変びっくりした。
コースを外れたマシンがガードレールにヒットして、大きな炎が上がった。事故は後方のマシンで起きたようで、多くのレースカーが事故に巻き込まれなかったのは、不幸中の幸いだった。
ドライバーは奇跡的に大きな怪我はなく、救出された。
マシンの安全性が高められ、クラッシュの結果火災が起こることは長いことなかったと思う。安全性の向上ももちろんあるが、ドライバーが幸運だった。
長い中断の末、レースが再開される。なんであんな所にガードレールがあるのか、事故が起きてみて考えるとよく分からない。
ドライバーが助かったのは幸運だし、コースマーシャルが巻き込まれなかったのも幸運だ。
無観客のレースで良かったと思う。
無観客なのである。
どこもかしこも、無観客である。
世界のエンターティメント業界は、無観客を受け入れ、市民に感染症に対する注意を喚起する。これは真摯で尊い考え方である。
一方で、
エンターテイメントを受容する市民は、そのような努力をあまり理解していないのかも知れない。
自分たちが無事にエンターティメントを満喫しているのが、単に幸運なだけということに気付いていないのではないかと、心配になる。
プロ選手がどれほどの注意を払いながら、プレーしているのか、理解する必要がある。野球をプレーすることが安全だと思い込む。プロ選手たちの様々なパフォーマンスがテレビ画面越しに流されている。
自らの置かれている立場を忘れてはいけない。
立場は異なるが、それぞれの人々は、自分の存在している社会の中で、感染から身を守るための努力をするわけだし、感染の危険性が高まればより大きな努力が必要で、大きなリスクにさらされることは当然理解する必要がある。
各自が、そのような立場で、自らと社会の安全に責任を持つべきなのである。