生活

面白いことは特にない、ただの日記です(投稿後に、二三日かけて書き直します)

私の近況

自分が何を考えているのかよくわからないことがある。
こうして、パソコンの画面を眺めながら、キーボードを叩くと、文字が画面に並び、それらしいストーリーが出来上がっていく。
この文章を書いているのは誰だろう。
私は、思いついたことをキーボードでなぞるだけである。私の創作なのだろうか。
少し、スランプのような気がしているのは、コンピューターのプログラムが、私の思い通りに言葉を変換してくれないからかもしれない。職場のキーボードは明らかに調子が悪く。いくつかのキーは表示されにくいし、加減によって微妙に打ち出される内容が変わる。エラーの出やすきキーを打つときに私は意識する。少しでもそのキーに触らなくて済むようなことを考えている。
これが、私の創作なのだろうか。
いくつかの入力アシストの仕組みがあり、プログラムは私の思考を先回りして、次の言葉を補おうとする。単に仕組みを考えなくても入力できるなら、それは素晴らしい仕組みで、出来上がる文章は私自身の創作と言って良い。一方で、思い通りに変換されずに苦労する時、たまたま私が打ち込んだ文字列を、プログラムがあてずっぽうに漢字に変換するとしたら、それは私の創作と言っていいのだろうか。
入力プログラムを変えてから、さっぱり思い通りに変換されず、それがスランプの原因だったのかもしれない。でも、読み直してみるとそれなりに良い。
私は、自分が書いたものを、あとで読み直すことが好きだ。
わずか数行の文章も、私のインスピレーションの賜物である。となれば、面白いに決まっている。
読んでいると、過去の自分に触れることができる。
私は悶々としながら、年老いていく。
書いていて、能力が低下し、柔軟性が失われていると自覚する。悶絶しながら書いている。
しばらくしてから読むと、それなりに素晴らしい。
このようにして、私はまだしばらくは生きていかなくてはならない。
もう暫くは、自分のやりたいことをやる前に、やらなくてはならないことを片付け続ける日々が続くはずである。
仕方がない。
私は、時間を見つけて、走る。走るうちに、心地よい道を見つけ、それが生活するための糧になっている。
走る余裕がなければ、何も起こらない。少しずつでも、元気になる必要がある。
私はもう少し生きて行く。そのために生活している。